くりらじ 小川もこ Rapha
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 投稿番号:100395 投稿日:2000年10月09日 08時34分10秒  パスワード
 お名前:ロレンス
常盤用水について
キーワード:宇部の歴史
コメントの種類 :質問  パスワード

 最近知ったのですが宇部には厚東の方から常盤湖にまで用水路がつながっている
そうです。
 何でも戦前に作られたもので殆どは暗渠になっていて目に付きませんが部分的に
開渠になっているそうです。琴崎八幡宮の山の上にはその開渠部が露出しています。
 また国道2号線を瓜野から少し下ると川を横断している青い管が目につきますが
どうやらそれもその用水路の上流の部分だそうです。

 名称は常盤用水というらしいですが、どなたかこの用水路の歴史的背景、いつ、何の目的でつくられたかとか、そういったことをご存知の方は教えてください。

 


[1]WESTさんからのコメント(2000年10月09日 19時30分59秒 ) パスワード
  

ロレンスさん、はじめまして。

調べてみたのですが、あまり収穫がありませんでした。

>1943年(昭和18年)厚東川から常盤池までの送水路工事ができあがった。
と、これしかわかりません。

常盤池から開までは、ずい道トンネルになっていて、少し姿を出したかと思うと
風呂ヶ迫池?と並行していますよね。

(いま考えてみたら「ゾ〜ッ」とするとても怖い事をして遊んでいました。)

で、その先が終点かと思いきや、そこから下に降りて琴崎八幡宮の上に。
更に下に降りて西山のあたりに出て、蛇瀬池へ・・・そして中山・・・

ゼンリンの地図で探ったのですが、ここからはわかりませんでした。

すみません。
[2]ロレンスさんからのコメント(2000年10月09日 19時56分59秒 ) パスワード
  

 昭和18年とわかっただけでも大した収穫でした。
 有難うございました。
 
 当時のことですから人海戦術で作ったものだと思います。

 ひょっとして宇部が誇ってもいい構造物なのではとおもうのですが、さほど知って いる人も多くはいないようですね。
[3]まこちゃんのパパさんからのコメント(2000年10月09日 20時03分43秒 ) パスワード
  

ずっと 昔々
雨水だけでは 田畑に水が供給されす゜
年旱魃に悩まされていた亀浦方面から
岐波にかけての 農業用水として
時の領主 福原翁は椋梨門左衛門に命じて
掘削工事(手堀り)により常盤湖を造成しました
最初は 雨水だけが水源でした。

その後 技術が進み、資金もたまり
トンネル工事をしたようです

そうトンネルも湖も手作りです
多分 小さい池と池をつないで
深くしたのでしょうが 水深の深いとこでも
5メートルはありません
って 昔 学校で習いました
[4]WESTさんからのコメント(2000年10月09日 20時30分12秒 ) パスワード
  

「御撫育用水路」の資料は多いですね。

小学○年の「わたくしたちの宇部」にしっかり載っております。
[5]さんからのコメント(2000年10月09日 22時18分52秒 ) パスワード
  

はじめにお断りします。このスレッドを読んではっと思いついたのでそのままカキコしますが、宇部駅前から厚東方面に向かう道の途中、串(西宇部小学校入口)の交差点を超えて真っ直ぐ行くと左コーナーがあって下り坂になっていますよね。

 その道の右側に下に降りる道があって、確かその先に用水のずい道があるはずです。確か小学生の時に社会見学で行った時に、『常盤湖に続いている・・・』といった話を聞いたような・・・。
 ずい道があることは間違いありません。由来を書いた看板もあります。

『たつの口用水』だったかなあ・・・(大汗)

何分確認していませんので・・・・・・・・。
[6]ちゅうさんさんからのコメント(2000年10月09日 22時37分25秒 ) パスワード
  

常盤用水について

自宅(西山)の前に常盤用水の開渠部があります。
蛇瀬池からはずっと開渠部になっていて、自宅の付近から
まじめ川へ向かって一気にくだり八幡様の裏へ出ています。
私が子供のころにはよくウサギやたぬきが流れてきていました。
今は宇部興産の管理になっているようです。
おもしろいところでは川えびがよくとれていて、近所の人たちは
魚釣りのえさにすくっていました。そしてその釣果として黒鯛をもらったり
していました。
また泥棒が盗んだものをこの用水路に投げ込んだということで
警察官がゴミを探していたこともありました。
[7]企楽太鼓さんからのコメント(2000年10月10日 03時42分43秒 ) パスワード
  

手元に、宇部観光コンベンション協会発行の「ときわ公園物語」(協会事務局に在庫、1500円)が有りまして、その249Pに「常盤用水」についてという小見出しの有る項に、ご質問の内容が簡単に要約されています。

その要約を、また「要約」してみます。

大正13年(1924)渡邊祐策翁の沖ノ山炭坑は上水道の敷設工事を完成。宇部市は、厚東村末信の新水源工事の完成からその水道施設を譲りうけ昭和2年市民に給水を開始。

昭和8年、沖ノ山炭坑は宇部窒素工業設立、その工業用水を確保する為、自力で厚東川から取水工事を完成させる。

これによっって、市の西部地区の工業用水道は上水道と別系統で整備されたが、
問題は大きな河川がない東部地区である。

東部埋めたて地区でも、東見初炭坑を中心に新規事業としてS11年宇部曹達工業が設立。その大量に消費する工業用水を常盤湖に頼ろうとしたが、旱魃の際には干上がってしまうことから地元農業関係者の強硬な反対で難航。

結局、山口県が「県営宇部市常盤池用水改良事業」を提案、合意。
内容は、厚東川の水を常盤湖にみちびき、農業用水、工業用水とも確保するというもの。これによって「厚東村末信に取水口を設け、中山、西山、川上、大小路、山門を
経て常磐湖にいたり、長尺り(地名)の入江に導水口を設置。そして、本土手取水塔から東部工業地区に給水。

いや、長くなりましたが、大切な歴史なのでご紹介しました。
S13年に起工、S18年に完成。これが、いわゆる「常盤用水」とよばれる用水路です。


[8]ロレンスさんからのコメント(2000年10月10日 22時01分04秒 ) パスワード
  

昭和13年から昭和18年の工事だったのですね。
 大変な時代の大変な工事ですが、それだけ水の重要性を感じさせます。
 「御撫育用水路」もおもしろい、常盤湖も人工池だったのですか、
 『たつの口用水』調べてみたいです。
 常盤湖の水が工業用水として利用されているのは知りませんでした。
 宇部に住むようになって10年ですが知らないことが多い。
 知らない地名も多い。
 いろいろ勉強になります。
 また山超え谷超え流れてくる水に感謝をしたいです。
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