[下関を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:海老爺
コメントの種類:提案 1月23日、投開票の結果、圧倒的な票差(反対が90%)となった、吉野川可動堰の建設是非に関する住民投票。 よそから見ていると、どーしても不思議ですなぁ。 利水上は、吉野川の支流に水を流す重要性から、どうしても必要なもの。 治水上は、何年か毎に来る可能性のある洪水を考えると、あって欲しくないもの。 以上の条件を考えれば、「可動堰」という結論に達するのは容易なんですが・・・。 でも、危険性を有する地域の、圧倒的多数の住民が「いらない」と言うのであれば、もう、 作らなくてもいいんじゃない?建設省さん。他に公共事業で早くやって欲しい個所は、全国に沢山あるのだし。 |
建設大臣さんでしたっけ??
ニュースステーションで”投票にこなかった多数決は反対派の意見もよく聞かないと・・・”
なんて事をいってましたが
んじゃ今の国会はどうなの??って言いたいですな(笑)。
確かに産業廃棄物処理場とか、米軍基地とか・・・
住民投票に向かない物にある事は事実だと思いますけど・
今回は、国側の提示した吉野川の危険性が希薄だちゅう事なんでしょうね〜〜
本当に危険だったら反対はしないでしょうから・・
危険性も考慮しての反対でしょうから、無理に作らなくてもいいんじゃないでしょうかね。
もし作るのであればやっぱり、市民の納得いく理論をまずはきっちりと提示するべきなんでしょう。
>今回は、国側の提示した吉野川の危険性が希薄だちゅう事なんでしょうね〜〜
本当に危険だったら反対はしないでしょうから・・
ひとつ気になったのが、今回住民投票があった市区町村と洪水の危険性のある
市区町村が違うと報道していました。150年に一度の確率だったら造ること
はないだろうとの判断なのでしょうが、危険性のある場所に住んでいる方々は
どんなお気持ちなのでしょうか。
>危険性も考慮しての反対でしょうから、無理に作らなくてもいいんじゃないでしょうかね。
・・・やっぱそうだよねー。徳島市に関しては、市民が危険性があっても川を現状のままにしろ!つーことなんだから。
ただ問題は、徳島市以外の、吉野川流域の危険地域に住む人達ですな。この人達の危険性まで、徳島市民が決める権利が
あるんだろーか? こうなったら、全流域の住民による投票しかないんじゃないの?
>もし作るのであればやっぱり、市民の納得いく理論をまずはきっちりと提示するべきなんでしょう。
・・・なんか建設省がどーしても作りたい、メンツにかけてでも作りたい、みたいな事をマスコミ報道を通じて
流すから、よけい住民投票の結果が偏っちゃうのでしょうね。建設大臣の投票前の発言も、かえて市民感情を
煽ってしまった感じがあるし。 もうこうなったら、吉野川の事は放っておくのが一番じゃないの?
だって逆だもの、普通は地元の方から「ここが危ないから河川整備を!」と活動するはずなのに、何で
「かくかくしかじかで、皆さんの地域が大変危険にさらされる可能性が有るから、河川整備をさせて下さい」って
市民が納得がいくまで説明しなけりゃなんないんでしょ? へんなの!
>市民が納得がいくまで説明しなけりゃなんないんでしょ? へんなの!
最近の行政はそんなものですよ。(笑)
やはり公共事業=票取り=予算の奪い合い=借金(国債)っていう図式が
出来あがったせいでもありますね。
吉野川可動堰については詳細を知らないのだけど,現在,「治水事業」が転換期にさしかかっているのは確かですよね.
かつては「住民の安全のために」が絶対的な理由になりえたけど,多くの河川で事業が行われた結果,多くの自然が失われてしまった.
人間の生活の場を確保するために,多くの動植物が生活の場を追われてしまったんですよね.
私自身は,人間は自然を利用することなしには存在しえないのだから,ある程度の破壊はやむを得ないと思うのです.そして,破壊は最小限に止めなくてはならないと思ってます.感情的な自然保護論を唱えるつもりはありません.
治水事業の難しさは,それが日常的な利益をもたらすものではなく,「事が起こったときの備え」であるという点ですよね.確率的に100年や150年に1回という洪水のために,自然を破壊するべきかどうか...
100年に1回級には対応して,1000年に1回級には対応しないのか...
この問いには「正解」はないと思うのです.では,誰が判断するのか.地元住民の総意に委ねるしかないように思います.
報道でも言われていましたが,外国では「対策(治水)」から「対応」へと方針を転換したところがあります.洪水が起こらないようにするのではなく,起こったときにどうするかを考えていこうというものです.それが満点の回答とは思えないし,日本にそのまま適用できるかどうか判りませんが,参考にしたい考え方だと思います.
吉野川の住民投票自体は争点がぼやけてしまうなどの問題があったようですが,今後の治水事業のあり方を問うきっかけになったのではないでしょうか.
国の推し進める事業は必ずしも「“今”必要なものを作る」という感覚がないような気がします。
しかしもしかすると何十年も後に必要化“かも”しれないものを作るような気がして。
お医者さんみたいなものかなぁ・・・最悪の状態を考えて診察をするだったけなぁ。
有明海を埋めときも反対多かったしね。食料自給率の低い日本で耕地が出来るのは何十年後には評価を得る可能性はある“かも”しれない。
建設国家で土建をしていかなければ生活できない人々も多くいる・・・。
徳島なんかも土建屋さんがね・・・。
作らなくていいものなら作らないほうがいいけどホントに必要なモノならもっと国が説明していただきたいものです。
徳島から情報誌「あわわ」がインターネットで独自に第十堰のバーチャ−ル投票を行うので参加の呼びかけのメールも来ていましたよ。
もしこれが下関だったらどうなっていたかなァ?
私は徳島市出身で親戚は吉野川沿い上流で首長をしております。
今回の事をどう見ているのだろうか?
実際そこを見たことがないし報道等で聞くことだけなので、可動堰について必要か否かは判らない。
本当に必要であれば、もっと早くに計画・説明・着工になっていたのでは?
ただ、この住民投票での各省庁・代議士(建設大臣)の発言に「疑問」というか「不愉快さ」さえ
感じるのは私だけなのでしょうか?
代議士が住民投票・国民投票に対しての考え方である。
「間接民主政治の基盤を揺るがす」… さて、本当にそうだろうか?
「選挙では○○党(○○氏)を支持するが、ある件だけは支持できない。」そのような対応も
あってもようのではないだろうか?
住民投票が公職選挙法に沿ってないと言うのなら、その見直しも検討すればよいと素人は思う。
「投票しなかった者の意見も尊重しないと…」
「下流の市だけでなく広範囲の意見も聞かないと…」
「被害が起こったらどうするのか?」
何か都合のいいことばかりいい、住民投票の結果を軽視していると感じるし、裏での取引があるのでは
と疑いたくなる。
>やはり公共事業=票取り=予算の奪い合い=借金(国債)っていう図式が出来あがったせいでもありますね。
・・・この辺が、今回投票した徳島市民の大方の考えなんでしょうねぇ、ACCさん。
でも今日では、もう「公共事業」→「票取り」にはならない、ってのが現実です。
下関でも、「国道の整備を進めます!」とか「港の整備を推進します!」とか言っても、
有権者はあまり振り向いてくれませんから。この事は、センスのある政治家だったら皆、気付いている事です。
じゃぁ何で今回のような事が起きるか? 建設省の官僚が持つ「日本の国土は俺達が築く」という、強烈な自負心が、
その原因にあるんじゃないかな? 建設省に限らず、各省の高級官僚は、大なり小なり、皆この様な自負心を持って
仕事を進めています。またこの気概が、明治維新以来、日本を支えてきた官僚機構の神髄といってもよいでしょう。
実際、日本が明治維新以後、見事に先進国の仲間入りをし、大東亜戦争で叩きのめされても再び世界を動かす国力を
持つ国になった事実に対しては、日本の官僚システムは大いに貢献しているはずです。
その国土作りのプロが考えた河川改良プランに、市民が「川の自然を守れ」「子供の時に見た川辺の風景を守れ」
といって反対する。こりゃー頭に来ると思いますよ、そんな事、今まで誰からも言われた事ないから。
でももう、建設省が考えた国土開発(保全)計画だから、というだけでは物事は進まない時代になったんでしょうねぇ。
>確率的に100年や150年に1回という洪水のために,自然を破壊するべきかどうか...
100年に1回級には対応して,1000年に1回級には対応しないのか...
・・・昨年、下関を含む瀬戸内海沿岸を襲った台風18号による高潮被害は、昭和17年以来「57年ぶり」のもの
でした。幸いにも死者こそ出なかったもの、その被害は個人、企業、公共施設を問わず甚大でした。
大型台風の直撃、大潮、満潮、という悪条件が重なるのは、まさに「100年に1度」級の災害でした。
今、沿岸の護岸復旧工事を進めていますが、今度は18号台風クラスに耐えられるよう、高潮対策のクライテリアを
上げて取り組んでいます。(100年に1度だから、また来た時はゴメンネ!じゃ許されません)
また、阪神淡路大震災の教訓を受けて、全国で建物の耐震補強工事を進めています。活断層では、地震が非常に頻繁に
起こる可能性があり、それは1000年〜数千年に一度の割合、だそうです。(地球の歴史に比べると、千年はほんの一瞬。)
でも、まだ震災の惨状をみな憶えているので、誰も地震対策を「無駄」とは言わない。
吉野川も、再び大洪水が起きて大勢の被害者が出るまで、手を付けられないんだろうか?なんかかわいそー。
私は政治のことはよくわかりませんが、21世紀は環境の時代でありことは世界的にみてあきらかだと
思います。ニュースを見ていると徳島の稼動堰は、現状に比べてあきらかに水質を悪くして自然環境を
悪くすると聞いています。人々の安全は150年に一度でも重要に考えるべきでだと思いますし、その
ための対策はあきらかに必要です。
私個人としては、1000億も使うのであれば自然環境もさらに良くなって洪水対策もできることを
願うばかりです。
私たちの故郷である山陰の海だけは、いつまでも綺麗でありますように!
>吉野川も、再び大洪水が起きて大勢の被害者が出るまで、手を付けられないんだろうか?なんかかわいそー。
んんん、だから住民側の被害対策と行政側の被害対策や被害状況の認識の差がこういう事になってるんで、
住民側、行政側にもたたない第三者に調査してもらって双方がクールダウンしないと
話しがちっとも進みませんでしょうね〜〜。
・・・・・しかし、建設大臣さんが住民投票のリーダーに向かって”あんたこれで被害者が出たら責任とるんでしょうな”と言われたのは、なんだかちょこっと頭にきましたね(おまえが頭にきてど〜〜する(笑))。
どうしてああいう話し方しかできなんだか・・・・住民感情逆撫でしてもしょうがないでしょうに(笑)
河川法の条文を引用
第一条 この法律は、河川について、洪水、高潮等による災害の発生が
防止され、河川が適正に利用され、流水の正常な機能が維持され、及び
河川環境の整備と保全がされる ようにこれを総合的に管理するこ
とにより、国土の保全と開発に寄与し、もつて公共の安全を保持し、
かつ、公共の福祉を増進することを目的とする。
16条の2 1河川管理者は、河川整備基本方針に沿つて計画的に河
川の整備を実施すべき区間について、当該河川の整備に関する計画
(以下「河川整備計画」という。)を定めておかなければならない。
4河川管理者は、前項に規定する場合において必要があると認める
ときは、公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な
措置を講じなければならない。
河川法の問題を深く検討したわけではないですので、久しぶりにレスで感想だけ書き込みます。
リスナーの立場に徹しますので、その点、ご容赦ください。
河川法の趣旨、目的をどうとらえるか、法律屋のぼくも結論は持っていませんが、災害予防と
国土保全(ここでは環境保全)も含めてどう調和させるか、見解は分かれると思います。
ただ、住民の意思を河川整備計画のなかに反映させことも要求していますから、流域住民を
どこまで対象にするのか、意見は分かれるにせよ、住民の意思(この場合、住民投票)の結論に配慮
する必要はあるのでは? 海老爺さんからタイムリーな研究の素材をいただいたと思ってます。
講義に出かける前に少し気分を落ち着ける時間の書き込でした。
恥ずかしながら、この問題について、これまでよく知りませんでした。
それで、勉強してみようと思ってこのスレッドを読んでいるのですが、ひとつ、肝心な基礎知識がないので、どう考えたらいいのか分かりません。
それは、「危険」「何年に1回」などということがらについてです。世の中に絶対安全はないわけですが、全国の河川を見渡して、吉野川は特に(つまり優先的に)第十堰による治水を要する、ということは間違いないのでしょうか?
「この程度の確率の危険性のある河川は全国うなるほどある。特別な河川じゃない」ということではなくて、「全国の河川を相対的にみて、プライオリティーの問題として、いままず吉野川をやらなきゃならない(やり方の工夫はともかくとして)」という、客観的事実がある(住民はその危機感が薄い)ということは、大前提なのでしょうか? それとも、その点自体に議論が分かれているのでしょうか? 例えば、建設省が、事業の必要性を打ち出したいがために、利水では説得力が薄くなってきたので必要以上に治水を「あおっている」のではないか、とかいって反対感情を「あおる」(どっちもどっち)ような意見は、有明海を含めこういった問題一般にありがちだと思いますが。
客観的には、どうなのでしょう?
それによって、どう考えたらいいのかが変わってきます。
どなたかから、「自分で調べて考えなさい。それが主体性だ。第一、何かコメントがついたとして、じゃあ人の言ったことをそのまま鵜呑みにするのか」と叱られそうです。その点はおっしゃる通りなので、先に謝っときます。
この問題に詳しい方のご意見として是非…。
こんにちわ
この問題の是非は判りませんがもう河川の維持は地方の責任で地方の好きなようにするという時代が来たのではないでしょうか?
国は防衛とか外交だけをすればいいのではないでしょうか?
またこれは徳島出身の人から聞いたのですがあの反対派の中心の方は今まであの固定式の堰の改修工事を請け負っていた企業の関係者だそうです。
まああの横柄な大臣にも閉口します。まあもっと徳島の人が考えて行くべき問題で我々がとやかく言うべきではないかと思います。
> 河川の維持は地方の責任で地方の好きなようにするという時代が...
これはチト難しいと思います。というか資金調達を考えると、地方自治体だけで
解決できる問題では無いと思います。うろ覚えですが、徳島の可動堰って建設費に
1000億円、年間維持費が 7億円だったかと思います。
また水害が発生した場合も大変です。「治水が地方の責任」と言うのならば、
水害に伴う災害復興も地方の責任において解決しなければなりません。
おそらく国の援助は「人道上の」必要最小限の事しか受けられないと思った方が
良いでしょう。そんな事を含めて多角的に考える必要はあると思います。
______
ちなみに私は多摩川の近くに住んでますが、堰はいくつもあります。
用途は利水も治水もありますけど、それが存在する事により自然が存在しない、
などという風には全然思えないほど自然っぽいです。まあ人の手により整理
された自然ですから例えれば「植林地帯」と言えるのでしょう。
堰の無い川は「原生林」となるかな。
ところで吉野川は現状でも第十堰があるわけで、いわば植林地帯。
それを別の、新しく頑丈な樹で植林し直すだけ、という風に思えるのですが。
テレビでは第十堰を「川のせせらぎが聞こえる」と好意的なレポートしてたけど、
それって「ヒビだらけの役立たず」って事では無いのか?と思ったのだけど...
(ひょっとしたら↑これ、記憶違いで別の話だったかも...)
な〜です
この問題は全く分かりませんが、行政と民間の間の
環境の関するアセスメントの違いを感じます。
一言で言えば行政不信の現れでしょうか。
そんな気がしてなりません。
ところで
建設大臣が
>”あんたこれで被害者が出たら責任とるんでしょうな”
と言ったのですか?
ろくな責任を取ったこと無い人間ほどこんな言葉を
容易に使うんですな。
責任の取り方の難しさを知っていたら簡単にこんな事を言えませんよ。
人間の器量がこんな時見えてきますな。
建設大臣の発言ですが、確かに彼は発言しました。
ニュースステーションという番組内の「バトル討論」みたいなコーナーで。
この番組↑は年明けと共に模様替えしたのですが、どうもバトル討論みたいな
ものを目玉の1つとしたみたい。毎日(毎週?)戦いの場面が見られます。
で、あの言葉は話の流れの中で発せられたものです。
それだけ取り出すと酷い発言ですけど、あの時の不毛なやり取りを「止める」為の
テクニックとしての発言だと思います。不用意な発言には違いないのですが。
(私が反対側の態度に強い疑問を抱いたのも、あの番組のおかげだったりする)
な〜 です
元祖まるちゃんさんありがとうございます
そうですか、ニュースステーションですか。
この番組もまあ????。
前の私の意見は撤回させてください。
言葉というのは難しいですね。
一連の流れのなかの一言と考えるのと、全く最初から出た一言では
随分意味するところが違ってきますね。
本人によりコメントは削除されました。 2000年02月01日 18時13分26秒
>確率的に100年や150年に1回という洪水のために,自然を破壊するべきかどうか...
河川は法律上は国や地方公共団体が管理することになっています。それ以外の場合も若干あります。
災害がおこって、法律上、管理責任が問われる場合、国家賠償法の2条の営造物の管理責任として問われることになります。そして、同条は無過失責任として文面上は規定されています。
そうすれば、100年や150年に1回という洪水による被害についても管理責任を問われることになるのか?
最高裁判所の立場は現在まで「ノー」の立場を維持してます。日本のおかれている国土事情、財政上の制約
などを理由にあげています。学説もそれを支持するほうが多数説のように僕には思います。
でも、政治のプロセスでは異なる。僕から見れば興味つきない。政治の論理と法律の論理、土俵の違いがあるでしょうが、なぜなのか?腰を落ち着けて考えてみたいテーマですね?
それから、国土利用計画を決定するのは誰か、住民はどこまでそれに参画できるのか?現行制度の問題点は?
それと、ただしさんが指摘されているように、環境破壊と開発、それと災害予防表裏一体の点をどう考えるのか?
派生する問題も多く、これから勉強させていただきます、と思うしゅうちゃんでした。
>吉野川も、再び大洪水が起きて大勢の被害者が出るまで、手を付けられないんだろうか?なんかかわいそー。
100年か150年かの将来発生不確実な災害対策に巨費を投じる決定を政治家だけで決定してよいのか、住民の意思も十分考慮して決定すべきなのか、しゅうちゃんの眼にはそのように映った住民投票でした。
また、また、感想のレスでリスナーに徹しているしゅうちゃんです
な〜さん、元祖まるちゃん、おひさです。
>100年か150年かの将来発生不確実な災害対策に巨費を投じる決定を政治家だけで決定してよいのか、
住民の意思も十分考慮して決定すべきなのか、しゅうちゃんの眼にはそのように映った住民投票でした。
・・・この場合、「政治家だけで決定する」というよりも、「建設省その他の河川に関する専門家が決定した」
というのが正しいでしょうね。じゃないと、政治家の「利権」だけみたいな話になっちゃいますし、
これはまた大きな誤解を生みますよ。
でもいずれにしても、徳島市民は危険性を感じていない、という事は間違い無いでしょうねぇ。
>・・・この場合、「政治家だけで決定する」というよりも、「建設省その他の河川に関する専門家が決定した」
というのが正しいでしょうね。じゃないと、政治家の「利権」だけみたいな話になっちゃいますし、
これはまた大きな誤解を生みますよ。
いや、どうも。海老爺さん。お久しぶりでございます。あくまでも、しゅうちゃんの眼に映る感想です。
>政治家の「利権」だけみたいな話
と受け取られるのなら、私の真意ではありませんので誤解のないようにお願いいたします。
予算決定、審議を通して、議会だけがそれに関与するという意味で、政治家だけが決定する。そういう意味で
僕は政治家だけが決定するといったまでです(^_^;)
研究の課題を与えていただき感謝です。 補足の感想でした。
。
>予算決定、審議を通して、議会だけがそれに関与するという意味で、政治家だけが決定する。そういう意味で
僕は政治家だけが決定するといったまでです(^_^;)
・・・あ、しゅうちゃん、どうも。貴兄の真意、了解しました。私の書き方もちょっと言葉足らずだったみたいで。
従来より、このような大型公共事業はその必要性に対し、かなり高いハードルを乗り越えて初めて具現化するものです。
最も高いハードルが、大蔵省。建設省が単に仕事を増やしたい、とか、政治家が公共事業を地元に誘導したい、
とかだけの理由では絶対に大蔵査定を乗り越える事は出来ないでしょうね。だから、この「吉野川可動堰」に関しても
国民から付託を受けた官僚や政治家、あるいは諮問機関の専門家による審査をクリアーした結果、事業化のめどが立った
もののはずです。
そうなると、問われるのは「間接民主主義とは、何ぞや?」あるいは「限界見えたり!間接民主主義」という事かな。
「100〜150年に一度級の災害に対する備え」だから、政治家だけに任せずに直接住民の意志を反映させるべき、
なのか、「1000億円規模の公共事業の投資」だから、政治家だけに任せずに直接住民の意志を反映させるべき、
なのか、「最近は役人も政治家もやる事が信用出来ない」から、政治家だけに任せずに直接住民の意志を反映させるべき、
ということなのか・・・? (こいつはちぃと書き過ぎ、かいな?)
>「全国の河川を相対的にみて、プライオリティーの問題として、いままず吉野川をやらなきゃならない
(やり方の工夫はともかくとして)」という、客観的事実がある(住民はその危機感が薄い)ということは、
大前提なのでしょうか?
・・・非文化人さん、私にはそう思えます。 河川が決壊した時、いわゆる「川の土手の高さ」が高ければ高いほど、
被害が大きくなりますよね。吉野川は、確かこれが「全国一」だったはずです。2番目以降の川には、ほとんどが
既に「可動堰」が設置されて治水対策が施されています。建設省が吉野川を急いでいるのは、この為です。
(今、手元に詳しい資料が無いので、ちょっと大雑把な書き込みですみません)
>(こいつはちぃと書き過ぎ、かいな?)
そんなことないと僕は思いますよ。僕には的を得た指摘にように映ります。
いずれにせよ、政治家稼業も大変ですよね? 頑張ってください!!
な〜 です
しゅうちゃんさん お久しぶりです。
戻ってこられてうれしいです。
管理者によりコメントは削除されました。 2000年02月02日 22時59分58秒
↑ ・・・ このハンドルネーム、勘弁してよ〜。 管理人さ〜ん!
う〜ん、なんか思いっきり滑ってるような気がします、ニセモノさん...(^-^;;
しゅうちゃんさん、こんばんはです m(_ _)m
覚えててくださって、なんか嬉しいです(^^)
この件に対する法律的、政治的見方はよく判らんのですが、個人的には
「可動堰、絶対反対」の意図が掴めないのです。確かに、今ある堰は江戸時代の
土木技術が産んだ傑作かもしれないけど、それと自分の命や財産を天秤にかける
ってのが何ともよく判らん。おそらく自分が徳島に行って今ある堰を見た時に、
「これはいいね。残すべきだね」と思うかもしれない。でもそれが地元にとって
最良の選択と言えるかは、かなり怪しい。
ただ可動堰があっても完全に水害を防げる訳ではない(放水路からの逆流とか)
から、有っても無くても水害は起こるのだから残そうよ、というスタンスなら
まだ理解できるんですけどね。
「ヘドロが溜まらない、自然のハイテク」(朝日新聞より)とかいうへ理屈で
攻められると、なんのこっちゃい? と思う訳で。(臭うからイヤなのか?)
ところで、この可動堰は現在の固定堰を取り壊す前程での話なのでしょうか?
またまた、フッと思ったのだけれど、固定堰を取り壊す必然性はあるのかな?
可動堰を固定堰の手前に作り、可動堰からの放水する水流を固定堰で減速する
ような設計にしたら、反対派はどう思うのかな?...なんて思ったり。
(工法的にも無知な素人の発想に過ぎませんが...(^-^;)
>可動堰を固定堰の手前に作り、可動堰からの放水する水流を固定堰で減速するような設計にしたら、
・・・洪水の時に、固定堰だとここでせき止められて川が氾濫する可能性が有るから危険なわけで、
これを残していたら、緊急時に(上流にある)可動堰を開門しても、河川の水を下流に流す事が出来ませんよね。
>「ヘドロが溜まらない、自然のハイテク」(朝日新聞より)とかいうへ理屈で
攻められると、なんのこっちゃい? と思う訳で。
・・・とにかく、朝日新聞は公共事業に反対なわけで。特に、自然を開発するタイプのが。
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