[下関を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:サザンチェリー
コメントの種類:報告 みなさん、はじめまして。 大学で集中講義があってこれはこのページで報告せねば!と・・・ 下関市は合併前,赤間関市(あかまがせきし)と呼ばれていたことは多くの方 がご存知だと思います。 その赤間関市は,明治11年の郡区町村編成法を受けて誕生した全国で38の「区」 のひとつでした。 他には東京15区,京都3区,大阪4区,函館,札幌 仙台,金沢,新潟,横浜,名古屋,和歌山,堺,神戸,岡山,広島 福岡,熊本,長崎 があります。8区が旧城下町,2区が港町。 当時の「区」と言えば大都市の証だったとか。 さらに,明治22年4月1日施行の市制を受けて下関市のように いち早く明治22年に「市」としてデビューした「市」はなんと 全国でたった39市しかありません。 現在「市」はあちこちに見られますが下関市の歴史はかなり誇れるものがあると思います。 みなさんご存知でしたか?すごいぞ下関!! はっ,なんか講義の続きのよう・・・ |
「すごい」のではなくて、「すごかった」のでは?
「すごかった」例なら、いくらでもあります。例えば、明治30年(1897年)時点で、日本銀行は、本店(東京)のほか、支店が全国に4ヶ店ありました。その4つとは、大阪、西部、函館、名古屋の各支店です。このうち西部支店は、ここ下関市内にありました(厳密に言えば、立地動機としては下関にというより関門にということだったのですが…)。この下関の西部支店は、中国地方、九州地方全域を営業管轄としていました。あなたの例は全国のベスト30いくつかの話でしたが、こちらはベスト5の話です。
すごい歴史がいろいろあったことはみんなわかっています。問題は、「歴史」には、「歴史的必然性」があったればこそそういう「歴史」を記録した、ということです。もちろん、そのすごい歴史は「昔のこと」として今では全く意味がなくなったというわけではありません。そのすごい歴史を、地域資産の一つとして活かしながら、また一方で新たな時代環境を睨みながら、今後の下関の「歴史的必然性」を模索していくことです。過去の歴史ををしっかりと身に付けながら、いかにして変身していくか、そのことを若い方達に考えていってもらいたいものです。
>すごい歴史がいろいろあったことはみんなわかっています。
この「みんな」というのは、下関市民の多くの皆さん、という意味での「みんな」です。
私、口下手で、よく書いた内容で誤解を受けますので、念のため。
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