[下関を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:ちゃま
コメントの種類:その他 ちょっと前の話題ですが、熊野小学校で開催された「熊野祭り」は、大変良かったと思いました。 甥っ子の翼くん(3才)も大変喜んでいました。私はこーゆーの大好きです。 特に印象に残っているとゆーか、 子供らしくって微笑ましいかったのが、 地元下関を調査した3年生のクラスでした。 一応、下関の歴史とかも研究したみたいなんだけど、 それ以外になんと!シーモールについて研究発表してたんだよね。 たとえば、シーモールの12月の催し物・セールなんかをね。 子供の立場からしてみれば、下関の歴史と同様に、 シーモールが下関の中で重要なポジションを占めているってゆーのは納得できるし、 それを素直に研究発表してしまうのは、ほんと子供らしくって微笑ましいと思いました。 逆にちょっとなーっと思ったのが、 これは去年だったんだけど、2年生の教室であった紙芝居でした。 その紙芝居のテーマがリサイクルだったんだよね。 もちろん子供がリサイクルの紙芝居をしよーって言い出すわけないから、 先生の指示だったと思うんだけど、無理がありましたねー。 はっきり言って、甥っ子翼くん(3才)をはじめ、見に来てた子供たちはがっかりしてたもん。 ちょっと話しが飛びますが、川中豊町の盆踊り大会の「平家踊り」も無理があると思います。 ご存知のように平家踊りは難しくって、子供にいきなり踊れって言っても無理ですが、 「踊ってくださーい」って善良そーな青年団の人がメガホンで叫んでました。 でも無理だよー、やっぱ、ドラエモン音頭とかにしてくれないと。 ほんとに子供が望んでいるものは何なのか?まぁ、それだけじゃダメですが、 少なくとも大人側の理屈で独り善がり・自己満足になってはいけないと思うんです。 子供って、不合理で非効率的なもので、大人の論理は通用しませんもん。 まぁー、学校の先生も平家踊りの世話役も、悪気が無いだけに、難しい問題ですなー。 |
久しぶりにくりまが覗いて見たら、ちゃまさんが飛ばしてますね(笑)
>少なくとも大人側の理屈で独り善がり・自己満足になってはいけないと思うんです。
>子供って、不合理で非効率的なもので、大人の論理は通用しませんもん
これは私も常日頃感じています。
大人というものは自分の中で「理想の子供像」を作ってしまってるんですよね。
そして何とかその「理想像」に子供を合わせようとする。
自分もかつては子供だったのに、そのころの気持ちを忘れちゃってるんですね。
実は私、小学生のころ絵を描くのが得意でした。
小学校の絵画コンクールでもよく入選してました。別に自慢している訳ではなくて
当時私は“入選するコツ”を知っていたのです。
本当の私は“見たままの風景”を描きたかったのですが、デフォルメして描いた方が
「子供らしくて大胆」と高く評価されるということを、小学生ながら悟ってしまって
いたのです(イヤな子供だ)。だから私は“子供らしく”大胆に描いていました。
子供は大人が考えるよりずる賢く、純粋でもない(笑)
でも下関の歴史というテーマで「シーモールの研究」が出てくるのは、紛れもなく
“子供らしい”発想ですね。大人では絶対に思い付かないもの(笑)。
それから街中にある「公園」ってのも、大人から見た「子供の世界」ですよね。
ブランコや滑り台もいいんだけど、子供のころの私は荒れ果てて雑草の生えた空き地
のほうが好きだった。今の子供はどうなんだろうなあ・・・
あ、それから全然話は変わりますが、
エレファント・カシマシの『ガストロンジャー』聴きましたよ、ちゃまさん。
ちょっと驚きました。この人って今までもこんな曲歌ってたんですか?
ちゃまさんの言葉がなければ、曲の存在すら知らずに終わってしまうところでした。
ちゃまさん、どうもありがとうございました。
・・・そういえばここは「下関を熱く語る」でした(笑)
詳しい感想は「音楽の部屋」に書いときます。
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