[下関を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:Rody
コメントの種類:質問 別スレッドで展開されている件ですが、あちらは「審議委員さんの辞任を考える」趣旨だと思ったので、 初めてスレッド立てさせていただきます。 |
たとえ話を聞いて下さい。
広島に原爆ドームがあります。
日本のみならず、世界の人にとって、貴重な遺産です。
広島市に財政的にいかなる危機が起ころうが、広島はこれを永久に死守する義務があります。
世界が平和になったりして、世界中からドームが忘れ去られ、訪れる人が激減したとします。
観光収入が入らず、広島市はこれを保守管理するために財政的に逼迫します。
新しい物も作れません。「住み易さ指数」も低い自治体となります。
それでも、世界は広島がこの遺産を放棄することを許さないでしょう。
実際は何しろ「世界遺産」なので、保守管理に市税なんて使われてはいないかもしれません。広島が放棄しても、
いくらでも代わりにお金を出す組織はあるでしょう。たとえ話です。
言いたいのは、下関に何のゆかりもなくって、建築にとても造詣の深い人がいたとして、「下関が貴重な第一別館を
取り壊すのは許せない」と思うとします。その人はその建物の保守管理のために下関市が仮に財政的に逼迫しても
はっきり言って何とも思いません。ある意味当然ですよね。
下関が、21世紀もう一旗揚げなくっても、いっこうにかまわない。
水族館が造れなくってもかまわない。地場産業が衰退してもかまわない。
文化遺産のお守りだけしっかりしてくれればそれで良い。
コスト的なことも全然不透明な第一別館周辺ですが、修繕費として一時的な出費は文化庁とかから出るの
かもしれない。でも残すとなると恒久的に維持管理費がかかるのですね。クラシックカーの維持費が馬鹿
みたいにかかるように毎年かなりの予算を割く必要があるように思えます。
大きな荷物を一つ抱える覚悟が必要ですよね。
そして、原爆ドームには美術的価値はありませんよね。
気になっているのは、
第一別館が、現存する唯一の、モノだから貴重という言葉が繰り返されていることです。
分離派の仕事の中で、仮に「秀作でなかった」としても、あと一コなのでその価値は揺るぎないものに
なっているようです。実際に目にされた方々が価値をどうも実感できなかったということを気にしています。
私は未だこの建物を見ていないから・・・
AGPさんが「観光資源として活用しにくい」ように言って居られたのも気になります。
残して見て、「工藤探偵事務所」とかに活用しにくーい建物だったら、(間取りとか規模とか)
どうしよう。
こっちの意見はあまり見あたらなかったように思えたので、
問題提起してみました。
よろしくおねがいします。
Rodyさん、きつい事言っちゃってゴメンネ
>言いたいのは、下関に何のゆかりもなくって、建築にとても造詣の深い人がいたとして、「下関が貴重な第一別館を
取り壊すのは許せない」と思うとします。その人はその建物の保守管理のために下関市が仮に財政的に逼迫しても
はっきり言って何とも思いません。ある意味当然ですよね。
下関が、21世紀もう一旗揚げなくっても、いっこうにかまわない。
水族館が造れなくってもかまわない。地場産業が衰退してもかまわない。
文化遺産のお守りだけしっかりしてくれればそれで良い。
これを言っちゃうと、どうにもならなくなりますよ。
だって、市の財源や活性化・観光・・・その他色々な事とのバランスを考えるからこそこういう問題は難しいのであって、文化遺産の保護だけでは市民はメシが食えなくなっちゃうわけだから・・・
残念な気持、文化遺産を愛する気持はひしひし伝わってきます。
大切なことだと思います。
他とのバランスを取るのに行政も大変でしょうね。
私達もそのバランスという奴を考えながら討論いたしましょう。
ダイレクトに意見しちゃってゴメンネ。
ちなみに・・・行ってみた。
僕には、歴史だとか、建築だとかの価値がわからないんだけれど。
****その時の正直な感想ね。****
そんなに大切な物だったんだぁ〜。
・・・・・・・。しかしなぁ〜、それにしては・・・、えらく粗末に扱われてるなぁ〜。
これは、改修してもどーにもならんのじゃないかな?って。思った。
私には残そうと残すまいと、どちらでもいいような建物に見えた・・・。哀しいね。
建物から感じる氣は、もう感じなかったです。
僕が、思うのは、なんでいま頃になって、あの建物を大切にするの?って思う。
もっと、昔から大切にしてあげればよかったのに。って思う。
決してちゃかしているわけではなくて いたってまじめなのですが
「文化財保存税」などを下関市が独自に決定して、その収益の範囲
内で文化財を保存・維持するというのはどうでしょう?
保存すべき文化財に優先順位をつけて、常位から順に必要なお金を
配分していくんです。予算が亡くなった時点でその年度の文化財保
存のための予算の執行は終了。と。
で、税額は市民が各自で決めるんです。文化財を守ることは大切だ
と思っている市民や企業はたくさん払う。そんなことより、明日の
生活の方が大切だという人は、月500円くらいの最低額を払う。
こういう仕組みなら、市民の意志が反映されやすいですし、税金と
してお金を払っている文化財に対する市民の愛情や理解も深まって
観光政策の一助にもなるのではないでしょうか?
もし税金が集まらなかったら、下関市民の総意としてその程度のも
のだということになりませんか?
今回の件も結局はお金が全ての問題なのですから。古い物を大切に
守ろうとする気持ちは、下関市民全員が持っていると思います。だ
から、別館の重要性の議論よりも、維持費をどうやって集めるかの
議論をしなければ、保存への一歩は踏み出せないような気がします。
くりがしらさん、ちょっと誤解が・・・。Rodyさんが言いたいのは、「市外には、財源なんか一向に気にせずに言いたい事だけを
言う人が大勢いる」って事だと思います。実際にこれは事実だし、私だって他市の事ならばいちいちよそ様の懐具合まで心配しませんし。
Rodyさんは、そんな中から一歩踏み込んで、いわゆる下関市としての総合的判断、というものにも理解を示して頂いており、
本当に感謝しています。
あっ、なるほどですね。m(__)m
>下関に何のゆかりもなくって、建築にとても造詣の深い人がいたとして
この言葉ですね。
よく読み直すと・・・
それなら文章の意味がつながってきました。
私の読み違いです。
Rodyさんさん取り違えてごめんなさい。m(__)m
すごい失礼なコメントしたかもしれない・・・
ぎんちゃん:
建築のことはよく分りませんが、みすぼらしく見えるのは、以前修理したところがはげているのであって、元々の建物の価値を生かした補修が可能だそうですよ。
とめきさん:
一見妥当な案のようですが、やっはりおかしいですよ。
福祉だって、教育だって、他に「下熱」で取り上げられているサッカー場やインラインスケート場やもろもろ、、、、
AGPさんの「だから総合的判断ですよー」という声が聞こえてきそうですが、
今回の件も総合的判断というより、前のスレッドでのINE?さんのレスにもあるように、市にとって都合の良い所だけでの判断のような・・・(市民にとっては?)
私の生まれ育ったところは、近代化遺産の残るような所でもなかったというか、もしあっても空襲と地震で消滅したでしょう。
せっかく 戦火に耐え生き残り、手当てをすればまだまだ活きていくものを 市が自ら解体撤去してしまう。とても残念です。
(公の対応がこうですから、将来そばのロダン美容室(旧宮崎商館)の命運も・・・)
くりがしらさん>
>すごい失礼なコメントしたかもしれない・・・
いえいえ、こちらこそ。
「〜〜かまわない。」の部分、
主語を「Rodyは」と思って読んじゃいそうですよね。
あとで自分でも思いました。
紛らわしい文ですみませんでした。AGPさんフォローありがとうございました。
>Rodyさんが言いたかったのは「市外には、財源なんか一向に気にせずに言いたい事だけを
言う人が大勢いる」って事だと思います。
謝りついでに、フォローしていただいたのに、
さらにもう少し自分の気持ちに正確に要約させてもらうと、
「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」
を仮想することで、市民として別館が残ることで引き受ける、
プラスだけじゃなくてマイナスの部分も、
実感を持って想像してみたい
・・・ということ・・・
ひー誰かフォローして・・・(懲りず)
>「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」
>を仮想することで、市民として別館が残ることで引き受ける、
>プラスだけじゃなくてマイナスの部分も、
何のゆかりもない者です(すいません)
例えば、下関市の宣伝をしよう!!というので、市役所が結構予算を組んで対外的にPRしますよね?
今回の事態は、今後の文化財行政にとってマイナスであると同時に、市外に対しても、マイナスのPRになっていると思うのですが....
(金額的に正確な換算はできませんが、おそらく数百〜数千万円分のマイナスではなかろうか)
「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」という仮想の言葉が強く響いてしまうのですが、、、
平成二年 市が解体撤去の方針を出した時から、唐戸地区の住民を中心に反対運動はあったわけですが、大きな運動にはならなかった(私も『何でもかんでも自分達の商売に引っかけてる』ぐらいに思っていた)。
その活動母体は「東部の文化財を見直す会」(亀山宮の宮司さんを代表)で、今回下関市文化財保護審査会による専門的な評価もあり、「下関市役所第一別館の保存と活用を考える会」として運動をより広く、深刻に(実際に解体されて無くなってしまう)繰り広げています。
今残っている英国領事館も 以前壊されるところをこれらの方々の運動で残ったようです。
その場しのぎの対応でなく、平成二年当時と状況の変化もあることだし、プラスマイナスもっと市民に明らかになるといいのですが、、、
あれれ 文化財は保護「審議会」でした。
今日は テレビで検察「審査会」という言葉が しきりに聞こえてくるので 間違えました。
Robyさんへ一言。
>「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」
を仮想することで、市民として別館が残ることで引き受ける、
プラスだけじゃなくてマイナスの部分も、
実感を持って想像してみたい
さて、どうなんでしょうねえ。市外の人の評価を非難することは、極端な話、市外からのお金も入ってこないということになりますよ。今回の件に限定しなくても、下関という地域は、市内での流通経済だけで存在しているわけではないでしょうし。それに、下関に観光に来て、お金を落としていってくれるのは、「下関に何のゆかりもない」人が大半ですよ。それに、Iターンしてくる人は、まあ、たいがい市にゆかりのない(ゆかりがどの程度かは知りませんが、最低限、親戚がいないと仮定しましょう。私の場合、両親は住んでますし、在籍もしてましたから、微々たるものとしても市の財政に関わってますしね)人ですよね。そういう人が、仮に下関をIターン先の候補にあげているとして、たまたま、この書き方を見たら、どういう気持ちになるでしょうか。下関は好きだけど、ちょっと排他的だし暮らしにくそうだから、近くの北九州にしようかってことも、あるかもしれませんよ。このBBSは、市にゆかりの全くない市外の人も見ているんですからね。
批判の気持ちはわかりますが、仮想敵国じゃあるまいし、「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」に批判をもっていくのは、ちょっとお門違いのような気がします。
外部の好意的な評価は、得ようとして得られるものじゃありませんよ。そして、それだけ市外の人の注目もあびているということです。いい評価は評価として、市民も受け止める姿勢じゃないと。なにも、下関だけで独立国になってるわけじゃないんですから。
>AGPさんが「観光資源として活用しにくい」ように言って居られたのも気になります。
残して見て、「工藤探偵事務所」とかに活用しにくーい建物だったら、(間取りとか規模とか)
どうしよう。
大分の野上弥生子文学記念館は、野上弥生子の生家を利用して建てられているため、展示施設としては利用しにくい構造になっていますが(次の展示を見るためには、天上の梁を頭を下げてくぐらなくてはいけないとかね)、来館者は途絶えていないですよ。
長崎にも展示などの利用に不都合だけれども、そこを上手く利用して、活用している家屋がたくさんありますよ。
利用しやすいから客が来る、利用しにくいから集客がむずかしいっていうのは、外観もさることながら、要は、中身次第ではないですか?
それについては、展示施設としての可能性について仮に語るならば、以前から話にあるように、松田優作などは世界的に知られた映画俳優でありながら、いまだに記念館もない状況ですし、地元下関に記念館ができたといえば、それこそ全国各地から人がおとずれますよ。金子みすずが近年非常にとりあげられているのも、彼女自身の作品のすばらしさもさることながら、それを誇りに持った長門市のPRにもよるところが大きいと思います。
展示内容に興味を持てれば、何度でも足を運んでもらえるはずです。入場料の設定が、高すぎず低すぎずであれば、さらに集客可能ですよ。その近辺の飲食店などにも、その利益は入るはずですしね。
>下関が、21世紀もう一旗揚げなくっても、いっこうにかまわない。
水族館が造れなくってもかまわない。地場産業が衰退してもかまわない。
そこまでおっしゃるからには、下関が具体的に、21世紀、どういうふうにもう一旗あげるのか、個人としてプランをお持ちなんですよね。よかったら、聞かせてください。
門司港レトロ地区が高い評価を浴びて、多くの人が訪れる町になっていることを、どうお考えですか?実際、レトロ地区開発前の門司港しか知らない知り合いは、最初は門司港へ観光するのを嫌がっていましたが、行ってみたとたんに反応が大きく変わりました。レトロ地区周辺のお店も、近年ずいぶん変わりましたよね。人が訪れるから、お店も発展するし。文化財行政は、そのまま観光行政にもつながります。これは、地場産業の発展にはつながらないんでしょうか。
もちろん、一年で急成長なんて事はないですけどね。それは、どんな施設でも同じでしょ?
>実際に目にされた方々が価値をどうも実感できなかったということを気にしています。
これに関しては、私はこのように考えています。
シンデレラが灰かぶりのままの格好だったら、王子様の目に止まったでしょうか?
仮に、観光目的のために、目新しい施設をこれから建てようとしても、それが一度訪れたらもういいや、と思わせるものであれば、やはりそれを絡めた地場産業の発展はむずかしいと思います。近年、外見の立派な建物は、あちらこちらに建ってますしね。外見だけでなく、中身の努力も大切です。
下関には、観光行政につながる文化財は、埋もれているものも含めて、まだ多くありますよ。
でも、市外の人の方が、より強くその価値を理解しているケースは多いんです。
私も何度も、市外の人から、「もったいないよね」という言葉をもらいました。
文化財も、観光も、地場産業も、市外市内両者が協力しあって、発展させていくものだと思います。
誰だって、一人では生きていけないでしょ?
本人によりコメントは削除されました。 1999年10月14日 14時23分54秒
ごめん、ミスです。速攻削除しました。
オランダシシガシラさん>
>〜〜仮想の言葉が強く響いてしまうのですが、、、
思い当たる、特定の個人の方を御存じで、非難されていると思われたら、
すみません。
でも私は関係の方の顔ぶれも知らないし、他意はありません。
「第一別館の保存と活用を考える会」がどう言う団体なのか
知りたかったので、ご紹介していただいてありがとうございました。
英国領事館の保存運動をされたのもこの会だったのですか。
あれは壊されなくて本当に良かったと思っています。
(あそこの喫茶店に少しお世話になったこともあります!)
>その場しのぎの対応でなく
本当にその場しのぎなんでしょうか。そこが知りたいのです。
INEさん>
>>「下関に何のゆかりもない、建築に造詣が深い人物」
を仮想することで、市民として別館が残ることで引き受ける、
プラスだけじゃなくてマイナスの部分も、
実感を持って想像してみたい
オランダシシガシラさんも引っかかっておられるようで、
やっぱりこの文は下手な要約でした。
私の言いたい事は伝わってないと思います
「市外の人の評価を非難」なんてしてないです。
外部を意識することで、実際に税金を払う市内居住者が、
自分が負う「市財政負担」というリスクについて
さらにリアリティを持って意見交換ができるかなと思ったのです。
すり替えや、矛盾はないと思いますが納得していただけますか?
だから
>下関をIターン先の候補にあげているとして、たまたま、
この書き方を見たら、どういう気持ちになるでしょうか。
このご意見は、当たらないと思います。
>大分の野上八重子文学記念館
このスレッドを立てたのは、こういうご意見がお聞きしたかった
からでもあります。実際にうまくやっているところがあるよ、と・・
>そこまでおっしゃるからには、下関が具体的に、21世紀、
どういうふうにもう一旗あげるのか個人としてプランをお持ち
なんですよね。
ん?個人としてプランなんか持ってません。「いしん21プロジェクト」
というのを、市のHPで見て、そのことを言ったのです。
全体的に、INEさんのコメントから攻撃的な印象を受けましたが、
感情的に悪い印象を持たせる文章だったのならお詫びします。
誤解があれば早く解きたかったので、取り急ぎ書き込みました。
その他いただいた情報は、じっくり考えさせていただきます。
はじめに主義(解体or保存)ありきで、
それに沿ったコメントを付けているのではありません。
Robyさんへ
誤解は了解しました。
>全体的に、INEさんのコメントから攻撃的な印象を受けましたが、
感情的に悪い印象を持たせる文章だったのならお詫びします。
私にわびる必要なんてないんですよ。
ただですね、やはり、言葉は慎重に選ばないと。私が言いたいのは、このBBSも、市外の人が、本当に多く見ているってことなんですよ。その人たちにも、下関を好きになって欲しいんです。
「下関にゆかりもない」と言われれば、私だって「今、あんたは、市外の人間じゃないか」って言われてるようで、いやだなあって思いますもん。それにね、「下関に何のゆかりもなくって、建築にとても造詣の深い人がいたとして」って言葉は、たとえ「仮に」と、ちゃんと頭についていても、何かの拍子で建築史学会に関係ある人がみたら「俺のことかい」って思いますよ。絶対に。
そして、自分のことではなくてもね、市外の人間ってことで批判されている例を見たら、やっぱり、市外の人間は、「排他的だなあ」って感じるんですよ。
自分たちが払う税金云々は、実際そう思われるのも当然でしょうから、それをどうとは言いません。でも、やはり、下関は、下関だけで経済が成り立ってるわけでもないし、不必要な悪評は避けたいと思いません?
それにね、自分の子どもや親兄弟が、他人様からほめてもらえるっていうのは、誰だってうれしいでしょ?私も下関を、全国のみんなから誉めてもらいたいし、ほめてもらったのなら、心からありがとうって言いたいなっておもうんですよ。
このスレッドの目的は有効なので、誰かわからない人を想定しての話はやめにして、もっと有意義な議論に焦点を絞った方が、お互い賢明かなと思いました。(私も含めてね)
Rodyさんがいいたいのは、「下関に何のゆかりもない」というより
下関の財政を考える必要のなく、下関の舵取りとして何の責任も追わなくよい立場の人が、
建築にとても造詣が深くて、第一別館を保存すべしという意見をもってたとして、
行政としてはその人のいうことだけ聞いいていればよいのではなく
ほかの判断材料も加えるべきでしょうってことではないですか?
SAGさん助け舟ありがとうございます。
不用意な言葉を使ってしまいました。
はまかわさん、AGPさん、こんちゃん、INEさん、そして、ETCのみなさん、はじめまして、三三(さんさん)と申します。よろしく。ここでこんなに熱い議論が続けれているとは思いませんでした。みなさまの熱意にまずは敬意を表します。そして新入りですが一言コメントをお許しください。第一別館の本当の価値、それは、分離派の建築だからでしょうか、観光資源だからでしょうか、現存する建築物としての残存利用価値でしょうか。それだと費用対効果で判断されるでしょう。戦争の悲惨さを伝える原爆ドームや、過去の栄華を伝えるニューヨークやロンドンの18xx年定礎と書かれた巨大なビルに比べると、残すべき価値など何もないように思えます。
しかし、あの建物を壊して市役所の介護室設置のためプレハブを建てると聞いて妙に寒々とした皮肉を感じました。老人も役に立たなくなればいい加減で消えてくれいわれそうな、無言の圧力を感じたのです。老人を介護するために、という大義名分で古い建物を役に立たないからと、費用対効果で壊される。「費用対効果で考えれば、わしら年寄りはあの建物以上に厄介ものじゃけのう。肩身が狭いのう。」老人も、古い建物も大事にせよといわれても、いい加減にしてくれと、若い者が言いたくなるのはよう分かるが。
門司のレトロや、関門の山や海岸などの自然に接したとき、私たちは心が和みます、癒されます。それは、建物や自然の美しさだけではなく、その風景の背後に有るそういうものを大事にしている人々のこころの優しさを思い計るからです。秋田商会、南部町郵便局、英国領事館など古いものを大事に思っている下関人の心を暖かく感じます。あんな建物など何だ大したたものではないじゃないかと、思う人も居るでしょうが、そういうひとがあるのも当然でしょう。しかし、そのたいした物ではないものでも、下関人にとっては、戦火を潜り抜けてきた数少ない大正時代や明治時代の下関の建物なのです。ニューヨークやロンドンの建物にはもとより何を比ぶべくもないでしょう。しかし、彼等の建物は立派であれば有るほど、過去の植民地からの収奪や、奴隷を働かせての栄華で、いつの日か恥のシンボルと思うようになるかもしれないのです。
第一別館の建物、大正時代の装飾が施され、戦後の経済性追求だけでないゆとりが感じられます。大正時代にこんなに立派なものが作られたのに、今の建物は恥ずかしいとお思う人も居るでしょう。日本じゃ大正時代でもこの程度だったのかと思う人も居るでしょう。それでも良いと思います。何も立派なものだから残そうと言う基準でなくても。われわれの父母の若かりし頃見た風景の一部なのです。当時の文学を読むときは、現存する古い建物の有る風景が、人々や時代を偲ぶよすがにもなりましょう。何よりもそういうものを大事に思う心が、年寄りを大事に思ってくれているようで、かつ文化的で嬉しいのです。もう少しで壊されるところを残されたと知れば、それで心が和み、癒されるのです。もう役に立たなくなった建物ですら大事にされる、わしらは年取って役に立たんごとなったが、人間じゃあ、下関なら安心して住んでおられるという安心感が嬉しいのです。
第一別館の本当の価値、それはあの役に立たなくなった厄介ものの建物を、大人達が何とかして生かそうと苦心している、下関人の優しい心のシンボルとしての価値ではないでしょうか。今直ぐ利用できなくても良いではないですか。あそこに有るだけで。毎年、今年こそは何とかしようかと言いながら、やっぱり残していく、ギネスブックに乗るほど、それを繰り返して欲しいものです。他の都市は馬鹿と言うでしょう、しかし心の中では、おれもあんな都市に住みたいと思っているかもしれません。第3ミレニアムには、大量消費主義や、自然破壊を伴う開発主義でなく、自然との調和、古いものとの共存、弱いものとの共生に智恵を使って欲しいものです。あの古い建物を見て子供たちが不思議がったとき、あれを壊しきれない大人の愚かさと優しさを笑いながら語ってやれば、子供たちも、何かしら、そういう器の大きさを学び、簡単にキレたり、すぐに新しいものに買い替えたりする行動を押さえるような、無言の諭しを学ぶように思うのです。そんな形で役に立てば、あの建物もいかに嬉しいことでしょう。わたしはそれこそが、喧喧諤諤の末残された第一別館の本当の価値であり、下関の誇りとなるように思うのです。あれを取り壊すことは、、、、、。ご静聴有り難うございました。
三三さんのコメントには胸を打たれました。
やはり私は解体すべきでないと、強く思います。
第一、解体費用はどれだけかかるのでしょう?
そういうコストは公開してるのですか?
1市民として、いくらかかるのか知りたいものです。
残すにあたっても、やはりお金はかかると思いますが、
大切な文化財です。下関市の財産です。
是非、残していただきたい、そう思っているのは、私だけではないでしょう。
私も心打たれるものがありました。
>第一別館の本当の価値、それはあの役に立たなくなった厄介ものの建物を、大人達が何とかして生かそうと
苦心している、下関人の優しい心のシンボルとしての価値ではないでしょうか。今直ぐ利用できなくても良い
ではないですか。あそこに有るだけで。毎年、今年こそは何とかしようかと言いながら、やっぱり残していく、
ギネスブックに乗るほど、それを繰り返して欲しいものです。
学術的価値は資料を調べても、そう付け焼き刃で判るものではないようです。
(これでも調べましたよ。よそのスレッドも読んでます)
他のスレッドで言っておられた方がいましたが、
行政に頼らず、募金とか、パトロンさんを捜すとかの道はどうなんでしょう。
時間はないとは思いますが・・・
奔走して下さる方を、つい期待してしまう・・・
本人によりコメントは削除されました。 1999年10月21日 19時04分08秒
いったんアップロードしたのですが、引用した金子みすずの詩がうろ覚えで確かめもせず間違いが多かったので削除し、訂正して再度アップロードします。これにはまだコメントがついてなかったので許されるかと思いまして。
RODYさんのスレッドなのに、RODYさんをETCにしてしまってごめんなさい。
10/20
23mさん、RODYさん、コメント有り難うございます。
昨夜寝ながらまた考えました。
はまかわさん、AGPさん、こんちゃん、INEさん、そして、ETCのみなさん
第一別館の新しい活用法について提案します。
あの建物を活かして、「やさしさ博物館」を作るのはいかがでしょう。「優しさ博物館」って何だと、ちょっと唐突に聞こえるかもしれません。あの古くなって、使えそうにない建物を何とか生かす方法はないか、生かして存続させる方法はないかを考えさせるのは、優しさです。そして相手は建物であっても、それに対して示された優しさに触れて、人間が癒されるのです。企業に勤める人、中小企業の経営者、昨日一つのコスト削減目標を無理して達成したのに、今日また削減目標が新たになる、賽の河原に石を積むような、絶望的な繰り返しです。絶望して競争を放棄すれば、たちまち会社は窮地に立ってしまい、自分自身もコストの一部として削減されてしまうのです。誰も彼も自分のことで精一杯、人のことまで構っていられないような殺伐とした生涯を送って良いものでしょうか。子供から老人まで孤独な人が多いのではないでしょうか。その結果、精神的に不安定になり、自殺や、いじめや、麻薬や、暴力や、事故や、病気などが増えるのではないでしょうか。
あの何の役にも立ちそうにない、第一別館を何とかして助けたいという「おろかしさとやさしさ」、それを人間は回復しなければならないのです。失ってしまった「おろかしさとやさしさ」を回復するには、それがどんなものか、博物館に集めて見てもらうのです。
金子みすずの「大漁」・・・
・・・はまは祭りのようだけど、海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう。
嬉しそうな人間の中に有って、いわしに同情して、いわしと悲しみを分かち合うおろかさを人々は笑うでしょう。笑う位ならまだ良い、そんな暇があったら、ここで網を引いて手伝わんかいと怒るだろう。しかし、いわしにさえ同情する、やさしい金子みすずのような人に介護されたなら、どんなに慰められるでしょう。安心して身も心も委ねられるように思います。介護には金も必要でしょう、しかし、本当の介護は、金で買えない心の介護が大きなウェイトを占めるのではありませんか。介護する人たちや、そのシステムを作ったり、運営する市の職員にも、こんな愚かさと優しさを持っていただきたいものです。この博物館には自分達が遭遇したり、経験したおろかさとやさしさを集めて展示するのです。あの建物を残したいと言う気持ちは、オスカー・ワイルドの「最後の一葉」に似ていませんか。一人の結核の少女を励ますため、嵐の中で落ちてしまった葉っぱの代わりに、壁に一枚の葉の絵を描き、自らは肺炎にかかって亡くなった年老いた画家のおろかさと、やさしさ。そのおろかさとやさしさに目を留めたオスカー・ワイルドのおろかさとやさしさ。下関人が感動した、本や詩の一節、身近なところで起こったことなど、年に一回コンクールのように市民に応募をお願いし、集めて行ってはいかがでしょう。優しさを求めて、老人も、子供も来ないでしょうか。優しさに触れて心が癒されるのです。老人と子供が愚かさと優しさを通してふれあって欲しいものです。下関人のおろかさと優しさを見物するために、全国から観光に来ないでしょうか。外国から来ないでしょうか。
AGPさん、あなたの名は、ドイツ語風に発音するとアーゲーペー、なんだかアガペーに近いようですね。きっと優しい心を持っておられることでしょう。AGPさんは市長さんや、たくさんの市議会議員さんに近しいようですから、この提案を取り上げるように口添えお願いしたく思います。
すでに取り壊しが議決されたと言う大嵐の中です、あの建物が残るなど誰一人思わないでしょう。そこで奇跡が起こって、あのビルが取り壊しを免れたとすれば、現代の、現実の“ LAST LEAF” として下関のみならず、沢山の老人達や、弱い人たちに勇気を与えるのではないでしょうか。そして、「優しさの博物館」という他所にない博物館として生まれ変われば、あの建物の利用方法として下関人の、ちょっとは賢いところも示せるのではないでしょうか。優しさと一体となった愚かさ、それは第3ミレニアムに向かう人類が何に変えても携えて行かねばならないものではないでしょうか。それを下関から世界に向かって発信したいものです。
三三さん、コメントありがとうございました。
すごく良かったです。
わたしも思わずいろいろ想いを巡らせてしまいました。
下関人には、確かに
負け去るもの、とか、ちっぽけなつまらないもの に
優しさを注ぐ気質があるのかもしれませんね。
古くは平家から、佐々木小次郎とか、乃木将軍とか。
「はんがんびいき」「へんくう」というんでしょうかね。
金子みすずの詩の、一つも知らなかったけど、
いい引用をして下さり良かったです。
「大嵐の中での奇跡」を、私も待ちたい気持ちにさせられました。
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