[下関を熱く語る!!一覧に戻る] お名前:taifuukirai
コメントの種類:質問 今の水族館はどうなってしまうのですか? ひょっとしてもう直さないで新しい水族館の建設を早くおこなう。ってことになるのですか? |
山口新聞 9/25によると、冠水した機器の掃除、乾燥、起動テストをして、どれだけの機器が作動するかで今後の対応を決めるということです。
生き残ったお魚さんは、宮島水族館にもらわれていったそうです。
カブトガニの赤ちゃんとかどうなったのかなぁ・・・。
波にさらわれたゴマフアザラシ どうなったんでしょうね。
そのうち巌流島の名物になったりして。。。
って 笑い事ではないのだよねぇ。関係者の方は必死で生物の命を心配されていることでしょう。
壊れたものは買い換えたり修理できるけど、命に引き替えはないですからねぇ。。。
>関係者の方は必死で生物の命を心配されていることでしょう。
そうですね〜〜生きてくれさえすれば、捕まらなくても文句いいませんよね〜〜
でもやっぱ飼育された動物だから無理なんでしょうかね・・・・
安否さえわかればいいんですけど・・・
SAGさんらしからぬ不謹慎な発言(笑)。
大切に育てていた物が、波にさらわれる、機械の故障で息絶えていくのを黙ってみていなければならない、これはつらいことですよ〜。
昨日の読売新聞だったか、山口新聞だったかには、復旧に前向きだと読みとれる記事がありましたけど、公式な見解はまだないんですよね。機器の動作テストが終わってからでしょうね。
>SAGさんらしからぬ不謹慎な発言(笑)。
私もそう思います。m(__)m
関係者のかたのお気持ち、お察しいたします。
そして再開の目処が立っていないという将来的な不安もおありでしょうし、
ほんとに笑い事ではないと思います。
ゴマちゃん視認の話しは,こちらへも聞こえています。
しかしどうなんでしょう?確かに大切に育ててきた方々の気持ち,って言えばその通りなんだけど,
彼ら(?)に『採餌能力』があるとすれば,(なければ『問題外』)狭い水族館と,今と,どっちが
幸せなんだろう?
『関門海峡』が彼らが住むのに適している,とは思わないけど…。
そんな事もチョット思う…。
本能として、餌をとる能力はあると思いますけど、水質とか健康状態なんかを管理された世界から、いきなり関門海峡はつらいのではないですかねぇ・・・人間の感覚で考えてはいけないのかもしれませんけど。大海に出て初めて水族館生活の幸せがわかるということでしょうか? ←これも、100%人間のものの考え方だったりして (^^;)
結局、飼われていた動物にとっては何が幸せかよくわからないので、相対的に、世話をされていた方の感情に重きが置かれるというところでしょうか。
山口宇部空港とかも、どうなってしまうんでしょうかね。
「エヴァンゲリオン」の庵野監督とか、何とかしてくれませんかね。「がいな」奴。
>結局、飼われていた動物にとっては何が幸せかよくわからないので、
『本来そうであるべき姿が幸せ』でなければ『歪んでいる』としか言えないのでは?
情けないです。『散歩用ロープを飼い主が手にすると,喜んでいる犬』など…。
ぴんかんさん:
山口宇部空港は今日から少しずつ飛び始めるみたいですね。
便数も最初のうちは少なくて、札幌便の運行はもう少し先みたいです。あと、ライトがつかないので昼間だけの離着陸で、飛行機に乗る動く通路、あれ、なんて言うんでしたっけ?? あれも使えないので階段で乗り降りする、など若干の制限はあるらしいですが。
お昼のニュースでそう言ってました。
マロさん:
生き物が野生で行くていくにあたって、問題は、食べ物の確保と、自分が食べ物にならない注意だと思うんです。で、人間にくっついていれば、この両者はたいていの場合クリアできるので、「歪んで」いても、「散歩用ロープを飼い主が手にすると犬が喜ぶ」のも動物なりの適応なのでは、と思います。
自由な行動の制限を失うかわりに、食べ物と身の安全が保障されるのですから、犬にとっては、これもまた幸せなのだと思います。
ただ、ゴマちゃんの場合は大海に放り出されたことが、自分の希望がかなったと判断するか、意に反してと判断するか、これは誰にもわからないことなので、今回のトラブルが幸だったか不幸だったかはよくわかりませんね (^_^)。
なかにしさん
>「歪んで」いても、「散歩用ロープを飼い主が手にすると犬が喜ぶ」のも動物なりの適応なのでは、
『歪んでしまわせた事』が根本的問題とは思いません?僕はそう思います。それを,『適応』とは言わないのでは?
>犬にとっては、これもまた幸せなのだと思います。
ホントにそうでしょうか?人間の勝手な解釈に犬が翻弄されているだけでは?
人間中心の考えはそろそろ止めましょうよ。『環境問題』というのは,生けとし生ける全てのものの命に光を当てることではないですか?
犬が何をどう思っているかっていうことをここで論じること自体が「人間中心」なので、人間が論じることそのもので、人間中心の考えになるのはやむを得ないですよね。
だって、犬の気持ちなんて誰にも分からないんですから、それに、犬に「幸せ」を感じる脳の部位があるかどうかさえ科学的に解明されてないと思いますし、人間だと側頭葉ってとこでしたっけ? 間違えてたらごめんなさい。
だから、動物の本能というものを考えてみると、苦労せずして食べ物と身の安全が得られる、人間との共生というのは強いていうなら「幸せな状態」という言葉が適当なのではないか、そう思います。
#ここは水族館の話題で環境問題の話ではないとは思いますが
それから一般に言う「環境問題」は人間中心の発想だと思いますし、そうあるべきだとも思います。そうしないと、環境問題に取り組む基準が見えないじゃないですか。
生けとし生ける全てのものの命に光を、ですと、場合によっては、私たち人間にとって、好ましくない環境になってしまうかもしれないし、そもそも、生けとし生ける全てのものの環境を最適化することも難しいことです。
それならば、環境問題を考えている主体である、人間が、自分たちの子孫の繁栄を願って、環境問題に取り組むというのも理にかなっていると思います。
#環境問題はこれくらいにしましょう。
ふむふむ。2つの意見の対立ですね。
犬は、自由よりも餌の確保が重要なようで、くさりが切れたときは、しばらく放蕩していても、
腹がへればまた繋がれるのが分かっていながら戻ってきますよね。
人間になつく動物とそうでない動物がいますから、歪ませてしまったのは、そういう意味では
人間の一方的な身勝手だけではなく犬なりの適正であるのかもしれません。
歪みはもちろんあると思います。
しかし、こうなってしまった状況で、犬達はこれからどうやって生きていくのが幸せなのか、
それを人間が決めるのも、身勝手な判断なのかもしれません。結局どうあがいても歪んでしまうのかもしれませんし。。。
それから、水族館や動物園というものを 野生である生物を捕獲・展示してある人間のエゴとして見るのか
それとも、学問・研究・希少生物の保護(子供への生物への理解・教育も含めて)として見るのかでも
違ってくるのでしょうね。
この当たり 水族館・動物園が単なる見せ物小屋になっていないかという問題提起はあるでしょうし、
当事者の方達には、それに対する なにがしかの解や哲学があることだと思います。
ただ、確かにどんなに理屈をつけても、人間の一方的な解釈で、動物側の希望はくみ取れないので、
結局、人間の身勝手な解釈だといえばその通りということになるのでしょう。
要は、人間がいるだけで、どのみち自然界には歪みは生じるので、
どこで折り合いをつけていくのかという事でしょう。
行き過ぎないように人間が自分でコントロールできなければならないし
それを判断できる人間にならなければならないと思います。
話題がずれて,失礼。
考え方の相違は,万人にある事で,結論も出そうにないし,
ここまで,という事にしましょう。
この投稿に対するコメント |