[1] | エンデバーさんからのコメント(2001年07月07日 19時02分49秒 ) | パスワード |
ほんっと、最低な運転手ですね。
ちょっとまえに話題になったように、タクシー運転手は
雲○って言われてもおかしくはないですね。
日本で一番プロ意識がないのはタクシー業界じゃないでしょうか?
この前もデミオを改造した福祉タクシーが走っていましたが、
窓から手を伸ばしてタバコの灰を落としながら走っていました・・・。
せっかくのいいイメージを損なう行動をするなんて・・・。
いつも思うんですけど、なんで「演技」ができないのかな〜って。
仕事のときはいいヒトってお客に思わせるちょっとした
「演技」が必要でしょ?
みんな不況のせいにするけど、接客の基本的なこともできない
接客業のヒトが多いじゃないですか?
若旦那さんが悪いんじゃないですけど、確かに若旦那さんの
旅館の周りはちょっと怖いですよね・・・。
気分を害されるかもしれませんが、これは私の正直な意見でもあります。
駅西口の歴史説明を私たちにも教えてください。
[2] | 若旦那さんからのコメント(2001年07月08日 09時19分47秒 ) | パスワード |
エンデバーさんへ
お返事ありがとうございます。
*駅西口の歴史説明を私たちにも教えてください。
恐縮ですがお話させて下さい。
まず駅西口は、以前マルハ通りと呼ばれており、現在の関東に移転した
マルハ(旧大洋漁業)の本社があった場所です。これに関連し下関漁港がくじら全盛期を迎えるまで、漁業関係のお店や百貨店が軒をつられており、JR関係の会社も沢山西口に有りました。その時代には、
小中の旅館が20件ほどこの西口には集合しており、まさに繁華街の真ん中に位置していました。また、ちょっとした旅館街でも有りました。昭和の30年から40年代まさに下関全盛時代の繁栄がここに有りました。
しかしながら、漁業関係も遠洋漁業や輸入が多くなり船員さんが陸に上がることが多くなり、一件二軒とソープができました。大きく変わりはじめたのが、
昭和58年から60年代頃で、マルハが完全に拠点を変え、東口(シーモール開店頃)に人の流れが変わりはじめた頃、当館の廻りも空き地が沢山で来ました。これを見た当時の
自治会長は「マルハ通りが暗くなる」と当時の住民の意見を聞かず、ソープランド
の出店を許可し、以後一気に増えた訳です。また、山口県下の風俗営業条例で、
「一県に対し一市のみ営業許可する」といった別けの分からない条例の為、店舗数に拍車
が掛ったのと、立ったら別の場所に異動ができない最悪な状態になった訳です。
ですから、萩や湯田や湯本温泉からタクシー飛ばしてくる団体客などもあり、ビジネス的には「ニーズ有り」の状態なわけです。
ソープ誘致された自治会長さんはそのあとすぐ他界されました。そのご住民も減り
現在は当館の社長が自治会長をしています。(本人いわく複雑な心境だそうです)
ただ、皆さんが気にされている「呼び込みの問題」は10軒あるうちの3軒位が、
強引な(道の半分まででてくる人)事をしてますが、なぜそこまでするか?
警察側も暗黙してます。住民からクレームが出ない限り動かないし、動いたら理由付けに「○○旅館さんからの苦情で・・」
なんて、言うもんだからだれも注意しません。
この状況下の中もう一つの問題「組関係」について続く
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