キーワード:日露戦争 乃木 児玉 コメントの種類 :歴史
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私は下関出身でもなければ乃木稀典の信奉者でもありません。
軍人としての乃木に対してはむしろ批判的な立場です。
そんじゃなぜこのスレッドを立てたのか?
乃木の自殺において明治天皇の死去は、
最後のトリガーに過ぎなかったのではと思うからです。
日露戦争で乃木の息子が2人とも戦死したことは有名ですが、
その戦争の直後に彼の最大の親友が急死したことは、
一部の歴史家を除いてあまり知られていません。
その親友の名は児玉源太郎。
徳山藩出身で内務大臣・台湾総督などを歴任した、
明治時代を通じて抜群の才覚と活発さを持った人物でした。
児玉と乃木とは西南戦争前からの戦友。
軍人の専門職たる軍事においては児玉が優れていましたが
児玉は乃木の清廉潔白について常に一目置いており、
軍旗を盗られたあと自殺しようとした乃木を制止し励ましています。
そして問題の日露戦争・旅順攻防戦。
元々旅順攻略は海軍のためにロシア艦隊を撃滅するのが目的でした。
ところが乃木の第3軍は要塞全部を真正面から攻略しようとして、
次々と無為に戦死者を増やしつづけていました。
指揮官としての責任にさいなまれ、
一方激変した軍事知識については無知に近かったため、
専門家とは名ばかりの部下たちに文句も言えない。
そして先述の通り息子たちの相次ぐ戦死でとうとう不眠症に。
このままでは埒があかないどころかバルチック艦隊がやってきて、
海軍全滅・海上交通路遮断で日本そのものが敗れてしまう!
だが戦っている最中に上層部を入れ替えるとなると、
マイナスイメージで頼みの外債の買い手がいなくなってしまう。
政府と陸軍の要職を歴任して日本の弱点を知り尽くしていた児玉は、
これ以上待てぬとばかりに内陸部の戦場をこっそり抜け出し、
親友乃木の面子を立てつつ戦術の大転換を行いました。
どうやったかって?
児玉はお人よしの乃木を口車に乗せて臨時に指揮権を譲ってもらい、
作戦会議で乃木の部下たちを叱り飛ばして命令したのです。
<児玉は乃木の拒否に備え総司令官の大山巌から密命を受け取っていた>
結果は5ヶ月以上の大苦戦がたった1週間で余裕の勝利へ。
時には漢詩を吟じあい時には悪口を言い合ったり、
「乃木のジジイ」「児玉のジジイ」と呼び合った仲でしたが、
明治39年に児玉が心労で先に死んでしまいます。
何度も自分の危機を救い共に歩んできた親友を突然失い、
乃木は相当精神的にショックを受けたはずです。
今までは児玉が自分を助けてくれていたのだが、
もうこれで誰も自分の過ちをとどめてくれない…。
ひょっとするとこのとき、
乃木の精神は「死んでいた」のかも知れません。
もし児玉の死が明治天皇より後だったら…?
児玉はやっぱり乃木の自殺を思いとどまらせようとしたでしょう。
もっともこれは学生時代の日露戦争研究からの続きで、
最近になって思いついたことです。
すでにこの筋で先行研究があるかもしれませんし、
まだ見ぬ不世出の文献があるのかもしれません。
はて結論はどうなることやら…。
【参考文献】
司馬遼太郎『殉死』『坂の上の雲』(文芸春秋)
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