アクアジャンクション 中央薬品株式会社 くりらじ
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 投稿番号:100390 投稿日:2000年09月03日 18時40分42秒  パスワード
 お名前:AGP
家畜なら食べて良い、野生動物はダメ?
キーワード:捕鯨
コメントの種類 :提案  パスワード

『牛や豚は家畜として人間が育てているのだから食べても良いのだ』という意見
があります。そして、クジラは野生動物だから、食べちゃダメなんだと。

別スレッドでも言いましたが、オーストラリアでは、あの可愛い『カンガルー』
を、ステーキにしてレストランで出しています。筋肉質の肉で、ヘルシーそうな
肉でした。「増えすぎて困るから、間引いているんだ」という事です。あれ?でしょ。

人間は途中から、家畜として好きな時に動物タンパク源を調達する術を身につけ
ました。でも、それで動物の知能が落ちたわけでも、動物が人間に食われる事を
運命として認めたわけでもないでしょうね。

水産庁の捕鯨を担当する交渉官がぼやいていました。
『反捕鯨国のやつらは、【牛や豚は、聖書にちゃんと食べても良い事を約束されて
いるけど、クジラについては何も書かれていないから、食べちゃダメなんだ】と
言うわけ。つまり、キリスト教の価値観の押し付け!』

日本も、世界の中で生きて行く為には、キリスト教文化圏に服従しなきゃ
なんないの?


[1]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月03日 20時14分30秒 ) パスワード
  

えっと、これは、高等生物云々のスレッドに書いた方が適当なコメントになるかもしれないけど、このスレッドにキリスト教のことがコメントされていますので、こっちに書きますね。
聖書のヨハネの福音書(だったかな?)に「はじめに言葉ありき」ってありますよね。キリスト教ではロゴスってのがすごいキーワードなんですね。ロゴスが感じられる生き物、言葉的なコミュニケーションが出来る生き物、「そういう視点から見て」知能がある生き物っていうのは、空の鳥、野の花のように神が養っているモノではなくて、神を感じるべき、神に繋がるべき者なんでしょう。
私なんか、じゃ知的障害者はどうなるんだ、年とって痴呆になることは罰っせられたっていうことか、とかいろいろ思っちゃうんだけど。ともかく、「知能」ということは、キリスト教文化では、重要な切り口なんでしょう。

ただこのスレッド、キリスト教批判が趣旨じゃないですよね。そんなことしてたら、宗教論でいろいろ紛糾しそうですよね。まあ、欧米の価値観押し付け批判をしようとすると、どうしてもここが避けて通れなくなっちゃうんではありますけど…。スレッドのコメントの後半部分にキリスト教がらみの問題が提示されていましたので、一言だけコメントさせていただきました。
[2]AGPさんからのコメント(2000年09月03日 20時26分22秒 ) パスワード
  

実はねー、ひどい事を、言われてるんだ、これが。
今年、オーストラリアでIWC総会が開かれている最中、地元新聞の投書欄に、
『持続的に利用可能な数の日本人及びノルウェー人が確認されているのであれば、
捕獲してもよいのではないか』という投書記事が載ったんだそうです。

もちろん冗談なんだけど、こんな投書を掲載する新聞社自体、常識を疑います。
そして、こういう世論を許す土壌こそが、「自分達の価値観こそが、正しいのだ」
という思い上がりなんだと思いませんか?
[3]AGPさんからのコメント(2000年09月03日 21時18分37秒 ) パスワード
  

野生動物の取引に関しては、「ワシントン条約」がりますが、これを取りまとめて
いるのがCITES(サイテス、「絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引
に関する条約」、英名"Convention on International Trade in Endangered
Species of Wild Fauna and Flora" の頭文字)です。


下記を御参考までに。

『クジラとCITES』http://www.jp-whaling-assn.com/jp/cites.htm
[4]KORNさんからのコメント(2000年09月04日 00時56分41秒 ) パスワード
  

>ただこのスレッド、キリスト教批判が趣旨じゃないですよね。そんなことしてたら、宗教論でいろいろ紛糾しそうですよね。

確かにそうだ(笑)
しかし、私も宗教論には興味があるので少しだけ書きます。
キリスト教のキーワードは「選民思想」でしょうね。
ベースである民族宗教のユダヤ教に比べて「選民」の幅は広がったわけですが、
やはり「選ばれし者(信じる者)だけが救われる」という基本思想は変わらない。
(まあ、一神教にありがちな方向性ではありますが)
これが拡大解釈されて、「信じない者は救われない→滅びても良い」となって
十字軍による他民族の虐殺につながったのは、皆さんご存知の通り。

しかし、キリスト教がまだ「新興宗教」だったころ、ヨーロッパを支配していた
のはローマ帝国でした。そのころのローマは多神教で、むしろ絶対神を否定していた。
その所為かどうか知りませんか、ローマはあらゆる価値観・種族を認める「寛容」
をモットーにしていました。この「寛容」の精神こそが、パクス・ロマーナの強さ
の源だったのでしょう。

で、私は21世紀の世界はパクス・ロマーナ的な「寛容」をキーワードにすべきだと
思うのです。あらゆる価値観・民族の違いを認め、尊重する。
ひとつの価値観、ひとつの正義の地球共和国を目指すのではなく、逆に各国は自らの
アイデンティティに誇りを持ち、尚且つ、他国の価値観も認める。
それが結果的に「世界の利益」になると思うのです。
そしてこの「寛容」の精神は、一神教(絶対価値)の国より、むしろ日本のような
多神教の国のほうがなじみやすいのではないかと考えます。

・・・なんだか壮大な話になってきました(笑)
無理やり「鯨」に戻します。「鯨を食べたくない人」の気持ちを尊重しましょう。
同じく、「鯨を食べる人」の価値観も尊重してほしい。少子化・飽食に悩んでいる
のは一部の先進国だけです。その他大多数の国は人口爆発・食糧不足に悩んでいる。
「適切に鯨を捕る」こと=「世界の利益になる」ことを日本が先頭に立ってアピール
してほしいですね。
[5]hanazukinさんからのコメント(2000年09月04日 00時58分44秒 ) パスワード
  

>『持続的に利用可能な数の日本人及びノルウェー人が確認されているのであれば、
>捕獲してもよいのではないか』という投書記事が載ったんだそうです。

これってタブロイド紙にですか?
タブロイド紙ならわかる気もするけど、
一般の新聞にそんなことが載るのなら信じられませんね。
日本でもオーストラリア人に対するひどい表現を使う人もいますが、
公共のメディアでは認められませんよねぇ。
[6]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月04日 17時15分25秒 ) パスワード
  

>で、私は21世紀の世界はパクス・ロマーナ的な「寛容」をキーワードに
>すべきだと思うのです。あらゆる価値観・民族の違いを認め、尊重する。
>ひとつの価値観、ひとつの正義の地球共和国を目指すのではなく、逆に各国
>は自らのアイデンティティに誇りを持ち、尚且つ、他国の価値観も認める。
>それが結果的に「世界の利益」になると思うのです。

…そうですよね、全く。そしてこういう方向、たしかにキリスト教国では無理でしょうね。イエスは本来そういう寛容さを持っていたと思うんですが、パウロが、土着的なものをどんどん否定した「キリスト教」なるものの基礎概念を新たに築いちゃったんですね。イエスさんは、今のキリスト教、あるいはこれまでのキリスト教がやってきたことをみて、どう思ってらっしゃることやら。
で結局、目指すは、「みんな違ってみんないい」という、金子みすゞ的なものの捉え方、二元論ではない、山川草木悉皆○○的な宇宙観でしょうね。ただ、キリスト教文明圏の考えがどうもこちらにはしっくりこないように、金子みすゞ的な宇宙観をキリスト教文明圏にわかってもらうということは、これまた至難のことでしょう。
う〜ん、だからどうしたらいいんでしょう。話が進まない…。
[7]KORNさんからのコメント(2000年09月04日 19時10分23秒 ) パスワード
  

>イエスは本来そういう寛容さを持っていたと思うんですが、パウロが、土着的なものをどんどん否定した「キリスト教」なるものの基礎概念を新たに築いちゃったんですね。イエスさんは、今のキリスト教、あるいはこれまでのキリスト教がやってきたことをみて、どう思ってらっしゃることやら。

これは私も同感です。しかしパウロがいなければここまでキリスト教は広まらなかったわけで、難しいところではあります。同じことは浄土真宗なんかにも言えますね。親鸞様は、蓮如以降の浄土真宗についてどう思ってらっしゃることやら・・・
(ちなみに私は、某カトリック教会の聖歌隊員でした(笑)。ですからキリスト教文化は大好きですし、仏教思想にも興味があります。よって宗教自体、否定する気はありません)

かつての古式捕鯨時代の日本は、鯨を捕獲したあと必ず「供養」をしていました。鯨に限らず、全ての食べ物について日本人は「供養」という概念を用いて敬意を払っていた。たぶんこれは「神道」の流れだと思うのですが、これなど一神教では考えられない概念でしょう。これは世界に誇るべき日本的思想だと思っています。しかし困ったことに、世界に誇る以前に日本人自身が、このような思想を忘れてしまっている・・・

本当に難しい問題ですね。「家畜は人間に食べられるために生まれてきた。だから食べても良い」などという二元論的発想より、遥かに奥深い思想だと私なんかは思うのですが・・・日本人すら忘れてしまっている概念を、一神教の人達がわかってくれるのだろうか???難問だ。

[8]SAGさんからのコメント(2000年09月04日 19時11分47秒 ) パスワード
  

おっと。スレッドがたくさん上がってますね。
(どれにコメントしたものか悩んじゃいますね(笑))
とりあえず、私は宗教観はよく分からないのでおいといてと・・・

このスレッドの本題だとは理解している
知能が高い低いっていうのや、家畜かそうでないかで、”食われるべきもの”が
選別されることは、
前のスレッドでKORNさんがおっしゃってた
”人間からの一方的な見方”というのに、すごく納得させられました。

勝手に理屈付けて、勝手に食ってたり、ペットとしてや保護するとして大事にしたりしてるけど、結局、食われる側にとっては、どんな理由で選別されようが
”ただ殺されて食われた”だけなのでは。
それは、牛や豚でも、鯨やイルカでも同じでは。。。

なぜ、牛だと頭が悪いから”可哀想ではない”のか。
牛だって殺されるのを実際に目にすれば可哀想に思うはず。
そんな風に考えると、???さんのいう選別の基準ってのが、
私は納得できないな、なんて思いました。
[9]マイルストーンさんからのコメント(2000年09月04日 20時01分13秒 ) パスワード
  

牛や豚も最初から家畜だったワケではないですね。
人間が勝手に家畜にして、勝手に品種を変えてきたワケです。

自然界のバランスは食物連鎖の安定によって保たれてきたワケで
それを壊すのは人間だけです。
虎やライオンは必要量しか狩をしないそうですし、すべての動物が
そうですね。食うため以外の目的で動物を殺すのも人間だけです。

地球環境を破壊するのも人間だけ。地球や動植物にとって
一番の困ったちゃんは人間なわけです。

だが、同時に絶滅の危機に瀕した種を保護できるのも人間だけです。
何が言いたいか…つまり人間は霊長類なんぞとエバレる存在ではない。
人間以外のモノなら何でも食っていいのではなく、何でも食うのが人間である。
食物連鎖の頂点に立っているからこそ、種の保存が最大の命題であろうし、
それができるから頂点に立たせてもらえたのかもしれない、ということです。
[10]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月04日 20時31分22秒 ) パスワード
  

ん〜。マイルストーンさんのコメントは、考えさせられました。結局、人間がさもえらそうに考えている「文明」って、そういうもんですよね。穀物を作り、蓄えたりして定住して、その穀物が財産になって序列が出来て…というようなことが文明の始まりですよね。穀物を蓄える(野にある植物を必要なとき採取することから一歩進む)ことも家畜を持つ(野にいる動物を必要なとき狩りすることから一歩進む)ことも同様な流れですから、家畜を否定すると文明を否定しなくてはならなくなります。そもそも人類が、文明を持ったのが悪いのだ、ということになるのかな。
まあ、そうかもしれないですね。地球と言うガイアからみれば…。

ともあれ、種の保存、これは人類の責任ですね。地球の微妙なバランスが壊れたら大変ですからね。もちろん、保護しすぎると、これまたバランスを壊すことになるし、難しいですね。
[11]マイルストーンさんからのコメント(2000年09月04日 21時07分16秒 ) パスワード
  

文明を否定する気はありません。
人類が文明を持ってなければ今ある私は存在しませんし・・・・。
ただ、その文明も遠い未来において確実に終焉の時を迎える運命に
あることも確かですね。太陽系が消滅するわけですから。
ま、今から心配しても仕方ないですが・・・。余談でした。
[12]AGPさんからのコメント(2000年09月04日 23時10分10秒 ) パスワード
  

う〜ん、ある程度予想していた通り、『捕鯨問題』って問題を各論に分けて論議
すると、絶対的に「反捕鯨」の論理が成り立たなくなってしまうんだよなー。

したがって、反捕鯨の立場にある人、又は理屈抜きで捕鯨反対!という人でも、
こうして「各論の場で討議しよーぜー」と言っても、出てこなくなっちゃう
んだよね。

面白いのですが、全く同じ事が、IWCの総会でも行なわれているのです。
科学委員会では、一つ一つの問題点を、理詰めで何時間もかけて協議し、一つづつ
結論を導いていこうとするのですが、(政治的な思惑の場である)総会では、
もう次から次へと色々なわけわかんない議論を反捕鯨国側が展開し、はっきり言って
まともな会議になっていません。だって議論がお互い一方通行なんだもの。
で、この結果「IWCが紛糾」となるわけ。そーじゃなくて、わけわかんない事を
彼等が言い続けてるだけだっての。

このスレッドの本題に戻って、まぁ「家畜は食べて良いけど野生動物はダメ」
つーのは、宗教論的にも、食物連鎖論的にも、いかにも彼等の勝手で無理がある
事が、大体共通のコンセンサスになってきた、という事で良いでしょうかねぇ?

[13]いいださんからのコメント(2000年09月05日 03時25分27秒 ) パスワード
  

クジラを”家畜”として養殖して、計画的に育てて行けばOKなのでしょうか?
[14]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月05日 09時32分37秒 ) パスワード
  

>クジラを”家畜”として養殖して、計画的に育てて行けばOKなのでしょうか?

クジラさんに、どっかに定住してもらい、そこでの生活の面倒をみてあげる、ってのは欧米でもOKだと思いますよ。日本がクジラさんの定住生活に援助しましょうと手を上げたとしても、歓迎されると思いますよ。ただ、その定住地で殺人(殺クジラ)事件が起こったら大問題でしょう。

クジラさんはもはや、空の鳥、野の花の範疇に入らくなっているのです。アブラハムの子孫たちが、牧畜でなく牧鯨の民だったら、こういう変化は起こらなかったのですが…。
[15]SAGさんからのコメント(2000年09月05日 10時21分27秒 ) パスワード
  

食べるために鯨を家畜化しても、欧米は認めてくれそうにないということですかぁ。

じゃ結局、家畜だから食べてもいいとか、稀少動物だから食べちゃ駄目っていう論理ではなくて、
感情の問題(知能の問題?)として、鯨は家畜だろうが、数が多かろうが、なにがなんでも食べちゃ駄目ってことなんですかね。
[16]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月05日 12時14分39秒 ) パスワード
  

私はそう思います。

ちなみに、「知能」というより、キリスト教的(全くおかしな)基準で言えば、「知性」があるかもしれない分類に入っている、といった方が正確かもしれません。ある標準的なプロテスタント教会で、「はじめに言葉ありき」のことばとは、知性のことだ、と説教していましたから。ギリシャ的宇宙観の単語が、キリスト教では妙な方向で引き継がれているようです。
[17]AGPさんからのコメント(2000年09月06日 02時25分22秒 ) パスワード
  

>クジラを”家畜”として養殖して、計画的に育てて行けばOKなのでしょうか?

・・・この考え方に対しては、『それならOKだ』という米国人の意見を
聞いた事が、私はあります。
(決して米国のコンセンサスを得た考え、という事ではないでしょうが。) 

彼にすれば、家畜にした時点で、もうこれは「食べても良い動物」という事に
なる、という事です。管理している事で、絶滅とは無縁だし、牛・豚と比べて
差がない、という事らしい。
[18]非文化人代表さんからのコメント(2000年09月06日 09時26分05秒 ) パスワード
  

油谷湾をクジラ牧場にしよう、っている構想が10数年前にありました。再来年のIWCでこの構想を実験的・生態調査的試みという形で復活させて地元提案としてアピールしたら、どんな反応になるんでしょうか。結局なんだかんだで否定されるんじゃないかな。

ただ、油谷湾をクジラ牧場にすると、結果的にどんなイメージになるかというと、ホエールウォッチングのメッカであり、クジラ「水族館」になっちゃうと思います。地元も、畜産業としての活性化案ではなく観光開発の活性化案と受け取ると思います。で、水族館の生き物を食べちゃいかんわけで…。
やっぱ、クジラを家畜的アプローチから考えるのなら、太平洋を地図上で区分して、それぞれを畜産場とみなして管理する、ということになるのかな。あれれ、結局、いまやろうとしている事と同じだ…。
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