[1] | 猫太郎さんからのコメント(2000年09月03日 19時44分19秒 ) | パスワード |
こてこて大好き人間の猫太郎です(笑
知能がどうのこうのって、どの動物にも知能とはいかなくても本能はもっているでしょうし、知能うんぬんで食っちゃいかんという理論がどこからでてくるのか少々?なところです。
人間は狩りをして生きてきたという歴史があるわけだし、人間の本能にはそういう部分があると思います。もし大飢餓が訪れて、食い物がない ! となったら多分何でも食べますよ、知能があろうがなかろうが。
所詮われわれも”人間”という動物にすぎないと思う猫でした。
[2] | AGPさんからのコメント(2000年09月04日 20時37分50秒 ) | パスワード |
何百年も昔の話ではありませんよ。
また、外国の話でもありませんよ。
終戦直後、日本では『犬』は、よく捕まって食べられていたそうです。
こん棒で、頭を「ポカッ!」と叩くと脳震盪を起こして、後は簡単に、首をギュッ!
だか、スパッ!だか(これ以上は詳しく聞きませんでしたが)やってさばいてた
そうです。
下関の姉妹都市・中国の青島市に行けば、今でも「犬料理」を食べる事が出来ます。
ちっとも野蛮だとは思いません。中国ではまだ日本のようにバンバン牛肉を
オーストラリアやニュージーランド、米国から輸入する国力は無いでしょう。
終戦直後の日本がそうだったように。
[3] | マイルストーンさんからのコメント(2000年09月04日 20時50分12秒 ) | パスワード |
>終戦直後、日本では『犬』は、よく捕まって食べられていたそうです。
私は完全な戦後派ですが、赤犬が旨いそうですね。
子供の頃、私らの村に肉売り屋さんが来てましたが、
犬の肉が混じっているという噂でした。
犬の肉を食べたことはありません。多分。
[4] | AGPさんからのコメント(2000年09月04日 23時09分26秒 ) | パスワード |
そーいえば、クジラは知的な高等生物だ、という事自体、??なんだよね。
ぜひ私も科学的根拠をはっきりとしたいのですが、以前、元ノルウェー首相で
同国の商業捕鯨を続行させた功労者であるフルンブラント女史(現・WHO事務
局長)が、下関でアメリカ人とクジラ談義をしていた時の会話です。
フルン「どうして貴女は捕鯨反対なの?」
米国人「クジラは賢いから、という話だから。」
フルン「そーなのよ、牛と同じ位に頭が良いの。」
米国人「・・・・・」
アメリカ人女性は、苦笑いをしていました。
この人は、終戦直後、日本国憲法の草案作成に携わった方です。
(ちょっとお名前を忘れてしまいました。)
[5] | SAGさんからのコメント(2000年09月04日 23時21分46秒 ) | パスワード |
これもKORNさんや非文化人さんの受け売りになってしまうのかもしれませんが、
何をもって高等とするかってことですよね。
蟻だってきちんと信号伝達もするし、協力して大きな餌運ぶんでかなり高等な気もするし、腹が減ってる訳でもないに、いがみあって殺し合う(戦争する)人間なんて結構、下等だと思うし。。。
[6] | くりがしらさんからのコメント(2000年09月05日 00時12分23秒 ) | パスワード |
ちなみに「犠牲」 という字は全部牛ヘンですが、それはどこからきた言葉なのでしょう?
いけにえと何か関係があるのかな?
えっ? お前が語るとまたヘンな方向に話が進む?
こりゃまた失礼しました。
サイナラ
「ふく」だって「牛」だって「羊」だって祭りでカバーしてんだから、鯨もお祭りやれば良いじゃん。
なに?バカヤロー不謹慎な!もっとまじめにやれ!だって?
スンマセン
出直します。
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年09月05日 00時27分40秒 ) | パスワード |
「犠牲」の「犠」は
神に捧げるきれいに飾った立派な牛
という意味だそうです。
犠牲の犠の義の字はもとは「我」じゃなくて「考」+「ホコ」みたいな字です。
私のマシンにはその漢字はありません。
お蔭さまで漢字のお勉強をしましたよ>くりがしらさん
[8] | くりがしら&みるくやさんからのコメント(2000年09月05日 00時46分54秒 ) | パスワード |
神に捧げる牛さんが出した乳を粗末に扱うのは何奴じゃ!成敗いたす!
[9] | NEOKIさんからのコメント(2000年09月05日 00時54分00秒 ) | パスワード |
本筋から離れますが、
>(ちょっとお名前を忘れてしまいました。)
フルブラントさんと下関で同席したアメリカ人女性、といえば、たぶん、
ベアテ・シロタ・ゴードンさんのことでしょう?
[10] | マイルストーンさんからのコメント(2000年09月05日 01時07分20秒 ) | パスワード |
牛鍋を食して「文明開化の味がする」と言ったのは誰でしたっけ?
ま、考えてみれば、日本人も宗教がらみで長い間牛肉を食わなかった
歴史を有してるワケですね。過去のことですが・・・。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年09月05日 01時07分22秒 ) | パスワード |
でしょうね。
確か日系人ですから。
[12] | モカビンさんからのコメント(2000年09月05日 03時32分11秒 ) | パスワード |
私自身の経験から、やはり小学校の給食から積極的に取り入れてみてはいかが
でしょうか!
小学生であっても地域に根ざしたくじらを身近に食する機会と知識を
持つことでかなり変化すると思われます。
子供はまだ牛だから豚だからくじらだからと妙に差異を意識しません。
こういう時期こそ下関とくじらについてゆとり教育も始まることですし、
取り入れてみて頂きたい。
先日、先生から「今日はくじらの日よー!」と給食の時間に発表があり、
子供曰く、「立田揚げがとてもおいしかったし、みんなも今度も
食べたいね!」と話していたとのことです。
私も久しぶりに食してみたくなりました。
[13] | KORNさんからのコメント(2000年09月05日 19時43分49秒 ) | パスワード |
この論点については、前のスレッドで語り尽くしたので、もはや付け加えることはないのですが、私の意見をまとめる意味でもう少し書き込ませて頂きます。
「鯨は食べても良い」・「鯨を食べるなんて可哀相」、要はどちらも人間の主観であるということです。知能が高い・低いの境界を決めるのも人間の主観に過ぎません。食物を食べるのに善も悪も無いわけで(この「善悪」という価値観も人間の主観です)、鯨だって何万匹のオキアミの尊い命を犠牲にして生命を維持している。オキアミからしてみれば鯨は大量虐殺者です。もし、オキアミにシンパシィを感じる環境団体(?)が今後現れて権力を持つようになったら、鯨は「野蛮な」動物として糾弾されるかもしれません。つまり、人間の価値観で生態系の善悪を判断するのは危険なことなのです。食物連鎖は「善悪」の問題ではありません。生命とは人間の善悪を超えたところにあります。
前のスレッドで???さんが「他の生き物を食べなくて済むのなら食べない」というような主旨のコメントをされていました。この考えを突き詰めていくと、もし無機質から蛋白質が合成できるようになったら、生き物を殺して食べずにその蛋白質を食べましょう、ということになるのでしょうか。そして全ての肉食動物にその蛋白質を食べさせれば、動物同士が殺し合うことのない「ユートピア」が完成する・・・
一見、非常に美しい世界のようですが、これは地球の生態系からみればとんでもないことです。肉食動物が他の生き物を食べなくなったら、現在の生態系は瞬時に崩壊します。生物が他の生物を食べない世界を「美しい」と感じるのは、一部の(主に裕福な、飢える心配の無い)人間だけです。一部の裕福な人間の価値観で生態系を操作するのは危険です。鯨の捕獲及び保護はもっと「客観的な」視点で行なうべきだと考えます。
ただ、捕鯨問題はもはや単なる鯨の保護の話ではなくなっています。非常に多くの問題が絡み合っている。私にも、どうすることが最終的に人類の利益になるのか、正直言って判断しかねます。しかし、「鯨は知能が高いから食べてはいけない」この論点については、今まで書いてきた理由により、「生態系の中では無意味な考え」だと思っています。(今までも「下熱」で鯨問題は何度か取り上げられましたが、私は常にこの論点でのみ論じています)
[14] | KORNさんからのコメント(2000年09月05日 19時45分07秒 ) | パスワード |
ちょっと話は脱線するのですが、ついでにもうひとつ。
よく『生態系のバランスを保って、自然を守っていかなければならない』なんて言葉を耳にしますよね。私はこの言葉にすら、人間の驕りを感じます。ここで言うところの「自然」とは、あくまで“人間にとって住み良い自然”のことなんですね。例えば、恐竜時代だって、その時代には地球の自然な姿でした。しかし、恐竜時代の自然環境に戻ったら人間は困ります。だから「自然を守る」と言った時の「自然」とは、人間の住める自然環境を指しているのです。
「鯨を守って生態系を維持する」ってのも、結局、鯨が人間の良き友達として邪魔にならない程度に守りましょう、ってことです。もし鯨が増え過ぎて生態系が変化し、人間が魚を食べられなくなったとしたら、反捕鯨団体だって主張を変えるでしょう。「自分勝手」という点では、反捕鯨主義者も捕鯨肯定主義者も大した違いはありません。要はそのことを、お互い客観的に認識して、「人間のために」より良い自然環境を守っていくしかないのです。人間にできることといえばその程度でしょう。
生態系というものは、実はいつでもバランスが取れているものなのです。バランスが不安定になるというのは「人間の視点」から見た感覚に過ぎません。生物の激減した氷河期ですら、その環境に適応した生物から見れば「バランスの取れた」状態です。つまり、生態系というのはバランスを取るために変化しているに過ぎない。単に「人間にとって都合の良い生態系」を維持するのは非常に難しい、というだけのこと。生態系のバランスを維持するなんて、実は人間の大きな思い上がりなのかもしれませんね。
だからといって、現在の自然環境を破壊して良いということではありません。そんなことをしたら「人間が」困るからです。自分の種族を維持する・そのために他の生物を食べる、この本能は実は最もナチュラルな感情です。別に「野蛮」なことではありません。全ての生物の遺伝子上に組み込まれた本能です。そして今、人間は種の存続に危機にさらされつつあります。豊かな先進国では小子化問題に悩まされ、貧しい発展途上国では人口爆発と食料不足に悩まされている。環境破壊も無視できなくなってきた。このような状況の中で、海洋資源の有効利用という観点で「鯨問題」を考えるのは、人間にとって重要なことだと思います。冷静に客観的データに基いて考えていきたいものです。
[15] | くりがしらさんからのコメント(2000年09月05日 21時51分55秒 ) | パスワード |
チャイナ服の似合わないKORNさん、相変わらず冴えてるねぇ((((((^^;
コビレゴンドウばかりじゃ美味しくないよ、マッコウクジラをマッコウからかぶりついてみたいぃぃ〜〜っ!
原潜で良からぬ事ばかり考えてないで、クジラの養殖の見張り番でもさせりゃいいんだよ。
[16] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年09月05日 21時55分55秒 ) | パスワード |
パチパチパチ。さすがKORNさん。
もう「この方面」のコンセサスは、議論する段階を終ったようですね。もちろん、次に、この(我々の)コンセサスを世界に向かってどうアピールするかっていう問題がありますが、これはもう、下熱の世界だけでは完結しない問題で…。
ちょっと蛇足をば。
>生態系というものは、実はいつでもバランスが取れているものなのです。
>バランスが不安定になるというのは「人間の視点」から見た感覚に過ぎま
>せん。生物の激減した氷河期ですら、その環境に適応した生物から見れば
>「バランスの取れた」状態です。つまり、生態系というのはバランスを取
>るために変化しているに過ぎない。
はやい話が、生態系全体を一つの生命体だとみればいいんですよね。生態系という生命体が、暑かったら汗を出す。汗を出したって自然の現象。体温調節などのためバランスをとっている姿であって「正しくない」姿ではない。寒くて鳥肌が立ったって、ただそういう気候の中で自己のバランスをとっている姿に過ぎない。ちっとも異常じゃない。汗を出しているときも、鳥肌が立っているときも、全て、あたりまえの姿。そのときそのときの状況に応じて変化させているだけ。また、風邪を引いたら熱を出す。なぜ熱を出すかといえば、体内のバランスを回復するため。熱を出して自然に回復する。これも自然の摂理。だから人間から見て異常と思える生態系の変化も、生態系全体では、単に日常的に「生きている」だけのこと。それが「人間にとって」どうかというだけのこと。もっと敷衍して、地球を一つの生命体とみれば、さっきの汗や熱に引っ掛けて言えば、大洪水が起ころうが、火山が爆発しようが、人類から見れば天変地異だが、地球という生命体が単にバランスをとっているだけ。もっと敷衍すれば、宇宙というものもそういう大きな生命体かもしれないし、この3次元に限らない時空全体が一つの生命体かもしれない。そういった中で、我々は生きているに過ぎないのだ、というか、そういった中の一部として我々が共存しているのだ、という感覚を持つ必要があるのだ、とKORNさんは言っている。人間が中心なのではなく、人間は世界を支配・操作する主人公なのではなく、大きなエネルギー体の中の一部なのだと。(かなり強引に引張って極論しましたけど…)。
これって実は、日本人の根本的な宗教観につながるのじゃないかな。日本の平安期以降の仏教もそれっぽいけど、しいて言えば神道。というか縄文時代からの伝統。こういう宗教観は、「今の」キリスト教文明圏の人々には理解してもらえない。しいて評価させれば、「我々の宗教から見れば原始的・下等な宗教もどきの考え・すなわちアニミズム」という評価で、鼻であしらわれてしまう。福音を伝えてあげなければならない、無知な人たちにされてしまう。そこに決定的な考え方の違いが生まれる。そして、これから人類がやっていくには、日本的な考えに立たないと、おそらくやっていけなくなるだろうに、日本人自身がこういう考えを捨て去ろう(あるいは忘れ去ろう)としている体たらくで、キリスト教文明圏的価値観で世界が普遍化されようとしている。クジラ問題は、このことを象徴したような一つのケーススタディになっている。こういう問題意識があって、KORNさんはこれまで、いつになく?こだわって熱いコメントを入れてきたし、宗教論のコメントをも入れていたわけ。
非文化人代表から見た『KORN論』でした。
(かなり強引だった(^_^; 過去の経験から、私が人を評すると、ろくなことはない。KORNさん、先に謝っときます)
[17] | knishiさんからのコメント(2000年09月05日 23時10分28秒 ) | パスワード |
いやはや、この問題についてみなさんのご意見を伺っているだけで、ついて行くのがやっとです(^^;;;;)
コメントと言えるものでもなく、さらに話しが横ずれしてしますが・・・KORNさんの環境への考え方は大変参考になりました。
そうですね、自然という現象は地球の過去を振り返ると現在の温暖化など比較にならない激変の時代を何度も経験しているんですね。もちろんそれは人間ではなく、人間以外の自然界に存在する生物によって引き起こされてきました(生物以外の要因もありましたが)。つまり、今の地球環境問題は、「地球」ではなく「人間」にやさしいに過ぎません。こういったことから考えると、R.カーソン女史の「沈黙の春」の内容は(誤解をおそれずいうと)誤った認識であることになります。(参考 岩波科学 地球環境学1 現代科学技術と地球環境学)
それと、非文化人さんの
>もう「この方面」のコンセサスは、議論する段階を終ったようですね。もちろん、次>に、この(我々の)コンセサスを世界に向かってどうアピールするかっていう問題が>ありますが、これはもう、下熱の世界だけでは完結しない問題で…。
について、これだけの議論を大切にしたいとみなさん感じているのではないでしょうか?タブロイド紙を限られた世界でこき下ろすだけではなくて、やはりだれかが「ちがう!!」と外へ向けて叫ぶ必要がありそうです。外の世界に向かってのアピール方法については、真っ先に思いつくのは、下熱の紹介を含んだメディアへの投書ですが、みなさんの知恵を結集すれば、もっと効果的な方法が出てきそうですね。
[18] | KORNさんからのコメント(2000年09月05日 23時58分03秒 ) | パスワード |
非文化人代表さんから過分なお褒めの言葉を頂いてしまいました(照笑)。
しかも、私が言いたかったことをさらに判り易く解説していただき、ありがとうございます。
そうですね、あとはどうやって世界にアピールするか、なんですよねえ〜
knishiさんのおっしゃるように、何とか皆さんの知恵を結集して、
もっと効果的な方法を見つけられたら良いのですが・・・
>チャイナ服の似合わないKORNさん、
ええっ、そうですか、自分では結構似合っていたと思うのですが(笑)
子供達には結構評判良かったですよ。
(↑わかる人しかわからない馬関祭りネタ・・・(苦笑))
[19] | マイルストーンさんからのコメント(2000年09月06日 01時53分56秒 ) | パスワード |
>>チャイナ服の似合わないKORNさん、
素朴な質問・・・KORNさんって男性?それとも女性?
文章からは男性のように感じられますが・・・・。
[20] | AGPさんからのコメント(2000年09月06日 02時24分11秒 ) | パスワード |
>もう「この方面」のコンセサスは、議論する段階を終ったようですね。
もちろん、次に、この(我々の)コンセサスを世界に向かってどう
アピールするかっていう問題がありますが
・・・恐らく、ほぼ誰もこの一連の論議に『異』を唱える方はいないでしょう。
皆さん、ありがとうございます。
さて、「世界に向けて発信」のところですが、これをどうやるか、また新たに
スレッドを立てて、じっくりと皆さんの戦略・戦術を拝聴したいと思うのですが。
いかがでしょ?
P.S.
>チャイナ服の似合わないKORNさん、
・・・え?チャイナ服??
私はどっちかというと、前面スリットが好みなんですが。あれ??
[21] | くりがしらさんからのコメント(2000年09月06日 10時48分19秒 ) | パスワード |
>「世界に向けて発信」
Antishock Global Partnership
ですかな。(笑)
[22] | SAGさんからのコメント(2000年09月06日 11時35分52秒 ) | パスワード |
コンセンサスが取れたとして、話が進んでいるところ、水を差すようで悪いんですが、質問させて下さい。
> 生態系というものは、実はいつでもバランスが取れているものなのです。
> バランスが不安定になるというのは「人間の視点」から見た感覚に過ぎま
> せん。生物の激減した氷河期ですら、その環境に適応した生物から見れば
>「バランスの取れた」状態です。つまり、生態系というのはバランスを取
> るために変化しているに過ぎない。
これを聞くと、取り方によっては、だから人間の都合で生態系は壊してもよいと
いうようにも取れますが、
> 一部の裕福な人間の価値観で生態系を操作するのは危険です。鯨
> の捕獲及び保護はもっと「客観的な」視点で行なうべきだと
> 考えます。
ということで、だからこそ、無謀な乱開発は問題にされるべきだし、汚染も問題だが
そこに高等生物だからといった主観を持ち込むべきではないと、
そういう論旨になっていると理解していいのでしょうか?
#勝手に私がそう受け取っただけで、違うのかな。それなら、申し訳ないです。
[23] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年09月06日 14時29分48秒 ) | パスワード |
SAGさん。KRONさんは、いつのもパターンだと、夜にならないとレスされないと思いますので、とりあえず、私の考えをば。
前半の問題については、「生態系を人間の都合で壊す」ということは、本当は壊すんじゃなくて、人間の都合で生態系を「変化」させてしまうということです。そしてこのことで、人間が滅びる(生態系そのものは生き延びる)ような生態系の変化をきたしては、少なくとも人間にとっては大変だ。そこは気をつけねば、ってことだと思います。
ただ、ここが重要なところですが、人間だって生態系の一部なのですから、「人間さえいなければこのような姿であったであろう」生態系のみが正常な生態系とみなして、そういう形を守らねばならないっていうわけじゃない。だから(人類が文明を持ったことで)家畜を飼ったっていいわけです。原野を開墾して水田にしてもいいわけです。もちろんクジラを捕ってもいいわけです。家畜を持ったり、森林を伐採したりしたら生態系は必ず人間の都合がいいように変化しますが、それは仕方のないことです。というか当然のことです。そこまで出来もしないことにこだわったり、あるいはそこに宗教的信念等々からいろいろと基準や価値観を持ち出すことは、むしろ人間の思い上がりです。人類は、生態系を外からコントロールする存在ではなく、生態系の「中にいる」一つのファクターなのです。変化する生態系自身(一部)です。「人類が生態系を変化させる」こと自体は、必ずしも生態系にとって悪なのではない。
しかし、繰り返しますが、その、人類が及ぼす生態系(自身の)の変化が、人類が死滅するような変化であってはならない。人類が生きていける生態系のバランスの範囲というのは、かなり狭い、微妙なものに違いない。当初気付かないことだってあるわけだし(例えば生物種を死滅させることなどは巡り巡って人類に悪影響を及ぼす)、慎重でなければならない。CO2とか、フロントか、砂漠化とか、そういう問題を重視するのも当然のことです。…考えてみれば、人類は生態系を外からコントロールする役目を持っているわけではないが、人類は自分が生き抜くために、結局は生態系全体にすごい影響を及ぼしている大きな内部ファクターではあります。良くも悪くもですよ(人類がいなければ、実は、生態系はもっとダイナミックに変化しているかもしれません)。
以上、敢えて(まなざしとかいつくしみとか、ここで説明するときに限っては説明のかく乱要因になりかねない)「感情」を抜いた冷たい言い方でコメントしました。
今のは私の思いに過ぎません(KORNさんのお考えは同じではないと思います)が、まあ、これだと、後半の問題については、自ずと話が繋がると思います。SAGさんの書かれているとおりだと、私は理解しています。
[24] | SAGさんからのコメント(2000年09月06日 17時03分51秒 ) | パスワード |
非文化人代表さん、御丁寧にありがとうございました。
高等生物を殺して食べることが地球にとってアンバランスというのであれば、
宗教的な価値観だけで、地球をコントロールするのも、
それはそれで、アンバランスなことですよね。
ただ、そんなことはGP等の団体は、聞く耳持たないのかもしれませんが・・・
[25] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年09月06日 17時08分48秒 ) | パスワード |
>良くも悪くもですよ(人類がいなければ、実は、生態系はもっと
>ダイナミックに変化しているかもしれません)。
ここで何がいいたかったか補足しますと、「生態系を守る」とか、「地球にやさしい」とかいう、誰から見ても誉めてもらえるような行動にしても、考えてみれば、所詮「人類にとって」望ましい環境にもっていっているに過ぎないということです。生態系全体から見れば、それは善でも悪でもありません。そして人類が、うまくやっている限り、生態系は、人類がいなかった場合に比べて、むしろ限られた幅(人類が生存し続けられる幅)でしか変化しない(これはむしろ不自然なこと?)のかもしれません。そしてまた、人類がへまをして、死滅してしまっても、それもまた新たな生態系の変化であるに過ぎません。人類は、所詮このように、もがきつづけねばならない存在なのかも。それをイエスさんは、現在「原罪」という言葉で受け継がれているもので、言いたかったのかもしれません。
[26] | くりがしらさんからのコメント(2000年09月06日 17時52分57秒 ) | パスワード |
ところでビルゲイツや浜崎あゆみの養殖が始まったら怖いな・・・
しかし、似たような現象が無きにしもあらず・・・
[27] | SAGさんからのコメント(2000年09月06日 21時43分50秒 ) | パスワード |
引っかかってるのは、結局は自分の首をしめることになるということが人間は分かっているのに、
そのときの都合で、最終的に人間に都合の悪くなる環境にしてきたということもあるのでは、と・・
公害しかり、森林破壊しかり、、、
つまり、例えば公害の問題をも、”地球からみれば単なる生態系の変化なのだ”
としてしまうと、
「やつらにとっては鯨を食べるのも、公害も、同じでどうでもいい野蛮な考えなんだ」
という取られかたをされてしまわないかなという、懸念です。
で、自分の首をしめないという前提が、頭に必要なのかなと・・・・
#そりゃ言われなくても、みんな読みとってるって?失礼しました。
[28] | KORNさんからのコメント(2000年09月06日 21時52分32秒 ) | パスワード |
おお、会社にいる間に議論がさらに深い方向へ進んでる!
正直言って、環境問題のついて議論しようとしても、なかなかここまで本質的な議論にはならないんですよね。人間の視点から見た感情論で終わってしまうことが多い。その点、このスレッドの議論は凄いと思います。
>これを聞くと、取り方によっては、だから人間の都合で生態系は壊してもよいと
>いうようにも取れますが、
なるほど、そうとられる可能性もありますね・・・それでは、ちょっと補足させていただきます。私は「生態系」を瞬間的な状態ではなく、連続的な生命の流れのようなものだと解釈しています(非文化人代表さんはこれを「生命体」という秀逸な表現をされていますが)。人間ごときがこの流れを「壊す」ことはできないでしょう。ただ今のように(現状の)環境を破壊する行為を人類が続けると、生態系の流れは変化します。そうなると現状の生態系に依存している人類は、当然滅びます。ただそれだけです。
だから「人間の都合で現状の環境を壊しても良いのか」との問いに対し、生態系が答えてくれるとしたら「お好きにどうぞ」と言うのではないでしょうか(もちろん比喩的表現です)。ただ、その時は人間が滅びるだけです。環境問題に興味の無い人は、よく『地球に優しい?関係無いね。自分が快適に生活できればそれでいい』と言います。これはある意味正しく、ある意味間違っている。確かに地球にとって人間がどのような生活をしようと関係無いことです。ただし、人間が「快適に生活」したければ、今の自然環境を守らなければならない。ただ、それだけのことなのです。
今は「環境問題を考えよう」などと言うと、無理やり「地球の為に」やらされているようなイメージがありますが、これはとんでもない人間の思い上がりでしょう。別にそんなこと地球は人間にお願いしていません。ただ、それをやらないと人間が困るというだけのこと。だから自分のことしか考えないエゴイストほど、自分の為に環境を守る努力をするべきなのです。私はエゴイストです。基本的に自分が生き残ることしか考えていません。・・・だから私は「環境問題」に関心を持っています。
しかし、本当はSAGさんほどの人なら理解していらっしゃるはず(笑)
たぶん、議論を深めるために、あえて問い掛けてくださったのですね。ありがとうございます。本当はもっと語りたいのですが、非文化人代表さんがこれ以上付け加えようのない見事な議論を展開されているので、言うことなくなっちゃいました。
ところでマイルストーンさん、私は男です(笑)
[29] | SAGさんからのコメント(2000年09月06日 22時04分46秒 ) | パスワード |
KORNさんの前にいたらないコメント入れてしまって分かり難くしてしまいました。
すいません。
> たぶん、議論を深めるために、あえて問い掛けてくださったのですね。
え〜っと、そんなところです(笑)
でも、かえって野暮だったのかも・・m(_ _)m
[30] | KORNさんからのコメント(2000年09月06日 22時19分03秒 ) | パスワード |
おっと、鯨についてふれていませんでしたね。
>ということで、だからこそ、無謀な乱開発は問題にされるべきだし、汚染も問題だが
>そこに高等生物だからといった主観を持ち込むべきではないと、
>そういう論旨になっていると理解していいのでしょうか?
その通りです。やっぱり解ってらっしゃる(笑)
要は、反捕鯨論者であろうが、捕鯨肯定論者であろうが、生きている以上必ず他の生物や環境を犠牲にしている。しかし、それは善悪の問題ではない。むしろ、特定の生物だけを「擬人化」し、人間の主観的価値観で生態系を操作するほうが、少なくとも「人間の」ためにはならない、ということです。
もっとも、特定の動物を「擬人化」することでシンパシィを感じる喜び、このこと自体を否定するつもりはありません。ただ、それはあくまで人間の主観であることを「客観的に」認識しておいてほしい、ということです。間違ってもそれが絶対的な真理だと勘違いして、人に押し付けたりしないでいただきたいですね。(どこかの団体のように・・・)
[31] | 非文化人代表さんからのコメント(2000年09月06日 22時29分17秒 ) | パスワード |
>しかも、私が言いたかったことをさらに判り易く解説していただき、
>ありがとうございます。
大人の反応をして頂き、恐縮です。ほんとはいろいろとおっしゃりたいことがおありだったでしょうに。場の流れを考慮して飲み込んでいただき、申し訳ありません。m(__)m
>本当はもっと語りたいのですが、非文化人代表さんがこれ以上付け加
>えようのない見事な議論を展開されているので、言うことなくなっちゃ
>いました。
うっへ〜。重ね重ね、申し訳ありません。m(__)m
なんでこの関連スレッドでは一方的にしゃしゃり出てべらべら喋りまくってしまったのか、自分でも不思議です。m(__)m m(__)m
[32] | SAGさんからのコメント(2000年09月06日 22時35分59秒 ) | パスワード |
(あ、KORNさん、買いかぶりっす(笑)プレッシャーが・・・)
はい。私もコンセンサスとれました!!
(すいません。長く、横やりいれてしまって。)
> ・・・恐らく、ほぼ誰もこの一連の論議に『異』を唱える方はいないでしょう。
> 皆さん、ありがとうございます。
> さて、「世界に向けて発信」のところですが、これをどうやるか、また新たに
> スレッドを立てて、じっくりと皆さんの戦略・戦術を拝聴したいと思うのですが。
> いかがでしょ?
の件を中断させてしまいましたので、続きをお願い致します。みなさま。
[33] | knishiさんからのコメント(2000年09月06日 22時41分10秒 ) | パスワード |
ついでに・・・・
「環境」と言う言葉は1972年の国連人権環境会議の名称で広く使用されるようになったようです。
>前半の問題については、「生態系を人間の都合で壊す」ということは、本当は壊すんじゃなくて、人間の都合で生態系を「変化」させてしまうということです。
そうですね。非文化人代表さんのいわれる「冷たい言い方」(たぶん学問)として捉える上では、「変化」もしくは地球「変動」というのが適切です。世界気象機構と国連環境計画配下の審議会は「機構変動に関する政府間パネル」です。また、アメリカの研究計画は「米国地球変動研究計画」です。
いつも自分で「環境を守ろう」や「地球を守ろう」を「人類を守ろう」と換言することが、本質を見失わない一つの手立てでしょう。
>さて、「世界に向けて発信」のところですが、これをどうやるか、また新たに
スレッドを立てて、じっくりと皆さんの戦略・戦術を拝聴したいと思うのですが。
いかがでしょ?
必要かどうかの議論を含めてぜひに。
[34] | KORNさんからのコメント(2000年09月08日 21時03分58秒 ) | パスワード |
ところで、世界に向けてアピールする一案ですが・・・
政治的思惑の明白なアメリカ政府や緑豆団はおいといて、一般のアメリカ人が「捕鯨反対」というときの根拠は、案外このスレッドの「高等生物・・・」云々や「家畜なら良い」云々という理由ではないか、って気がするのです。
>イエスさんは、現在「原罪」という言葉で受け継がれているもので、言いたかったのかもしれません。
非文化人代表さんも指摘されているように、実はキリスト教も【原罪】という概念で「全ての人間は本来罪を背負っている」と説いています。鯨を食べようが、牛を食べようが、本来は等しく罪深いわけです。全ての生物に上下は無い。全て尊く、全て罪深い。これって、万物に「神」を感じる古来の日本的宗教観に近いものがありますせんか。この【原罪】ってのはひとつの「落とし所」だと思います。
いくら日本の文化や宗教観を拠り所にして「捕鯨の正当性」を唱えても、異文化の人には通用しないでしょう。しかし、相手の価値観に立って、つまり「我々は等しく罪深い、それはあなた方の言うところの【原罪】です。鯨を畏れ尊ぶ気持ちは我々の文化の中にもあります」とやれば、アメリカ政府はともかく、一般市民レベルでは理解してくれる人も現れるのではないでしょうか。あくまでこれはひとつの例ですが、「相手の価値観で説得する」というのは案外効果的かもしれません。
もちろん、その前に全ての食べ物に感謝し万物を畏れ尊ぶ精神を、日本人自身が思い出す必要があるのは言うまでもありません。
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