キーワード:蓋井島 白島石油備蓄基地 沖合人工島 六連島 竹の子島 彦島 巌流島 満珠・干珠 コメントの種類 :質問
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モンキーウサギサンタです。
下関っていろんな「島」がありますよね。
皆さんの好きな島行きたい島など教えて下さい。
以下長文ですがご参考資料です。
【巌流島】
関門海峡の中にある小島で彦島江の浦から400メートルの沖合にある平坦な無人島。大正年間から埋立てられて面積0.102平方キロメートルになりもとの約5倍になった。慶長17年(1612)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎がこの島で雌雄を決した島である。それまでは船島といっていたが、このことがあって以後、敗死した小次郎の流派巌流の名をとって巌流島と呼ぶようになった。島には明治43年(1910)10月に建てられた佐々木巌流の碑がある。
【六連島】
彦島の北西海上に浮かぶ面積0.69平方キロメートルの小島。仲哀記に「没利島」(もつり)とあり、俗にもつれ島という。大小6つの島から成り、大きいのを蟹島、俗に大六連、小さいのを馬島という。蟹島の名はその形がカニに似ているところからおこり、馬島は小倉藩の馬の飼育場であったのでこのように呼ばれるようになった。
蟹島には真宗の妙好人として名高いお軽同行の碑がある。お軽は享和元年(1801)に大森岩吉の次女としてこの島に生まれ、19歳の時に養子を迎えたが、間もなくして夫に背かれて求法に志し、25歳で金剛の信心に達し、安政3年(1856)1月大往生を遂げた。
六連灯台(石造りの洋式灯台)は明治4年(1871)に完成したもので、近代的な灯台ではわが国で最初にできたものの一つ。翌5年、明治天皇が西国御巡幸のさい、6月12日にこの灯台に立ち寄られ見学された。
島の中央部高台にある雲母玄武岩は、灰黒色の多孔質で、その孔隙内にキラキラ光るうろこ状の黒雲母の結晶が見られ、天然記念物に指定されている。 また島の南端に縄文時代後期から古墳時代に至る遺跡がある。
【満珠島・干珠島】
忌宮神社の飛地境内地で、長府の海面に浮かぶ二つの小島である。
両島に関する記録は、古くは「日本書紀」にみられ、仲哀天皇の条に、神功皇后が豊浦津(とよらつ)の海で如意の珠を得たとあり、この珠に由来する澳津(おきつ)島・平津(へつ)島が、この両島のことであるといわれている。
国土地理院発行の地形図では沖合の島を満珠島、陸に近い方を干珠島としている。しかし、沖合の島を干珠島、岸に近い方を満珠島とする説(忌宮神社土地台帳による)もあり、現在ではその両説がある。
島をおおう、うっそうとした樹林は千古の原生林で、干珠島は70科186種で暖地性の草木が多く、満珠島は62科153種で、瀬戸内海の西端における原生的植生を示すものである。大正15年(1926)満珠樹林、干珠樹林ともに天然記念物として国から指定(沖の方が干珠島とされている)され、さらに昭和31年5月1日には火の山とともにこの両島海面区域が瀬戸内海国立公園に編入された。
【蓋井島】
吉見の沖合、約7キロメートル、響灘に浮かぶ面積2.5平方キロメートルの小島。島内は山地が多く絶壁が海岸に迫り南岸のわずかな平地に住家がある。山頂から眺められる青く澄みきった海と遠くに浮かぶ島、沖を通る船と白い灯台、自然の美しさが今も残されている。島の周辺はいつも釣り客で賑わい、ことに夏季は海水浴やキャンプに多くの客が来島する。
7年毎(亥の年と辰の年の12月頃4日間)に行われる山の神神事(相嘗)は古来の儀礼を今に伝えていることで知られ、昭和35年国の重要民族資料に指定されている。そして山の神神事と神事記録は市の指定文化財となっている。山の神の森は一から四の山まであり国指定の民族文化財になっている。
島内には神功皇后にまつわる伝説が多い。
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