竹つぼ マイホームフォーラム 株式会社 エミ
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 投稿番号:100128 投稿日:2001年04月07日 17時26分48秒  パスワード
 お名前:bluesky
昔、昔のその1
キーワード:天神様
コメントの種類 :その他  パスワード

city islandさん、ボニさん、まるみさん、irieさん、どうもありがとうございました。今も、天神様あたりにお花見に行かれるようですね。私もよく家族と行きました。私の右脳にインプットされている、5歳から9歳頃(昭和27年ー31年頃)の記憶では(しもうた、歳がバレタ)事あるたびに天神様に行っていました。節分には自分の歳の分だけ豆を持っていったりとか。その頃、大きな石段を上って右に折れるとすぐの所に、檻が二ツあり、ひとつには猪、もう片方にはお猿さんが2、3匹いました。その中の一匹が盲目のお猿さんで、いつも何かえさをやろうとしても他の猿に取られて、かわいそうと子ども心に、悲しい気持ちになったものです。また、時々サーカスや移動動物園もやって来ました。檻を2段重ねにして、ずらっと並べただけのもので、勿論象など大型のものはいませんでした。それでも、新田小学校からお手手つないで、テクテク歩いて見にいきました。たまに、防府に帰った時も、なにはともあれまずは天神様にいかないと、気がすまない私です。今日のハワイは一日雨の、すっきりしないお天気でした。

[1]ボニさんからのコメント(2001年04月08日 00時22分00秒 ) パスワード
  

blueskyさん、こんばんは〜。
お話を聞かせていただいてどうもありがとうございます。
天神様へよく行ってらしたんですね。昔、イノシシや猿が居たとは知りませんでした。お猿さんの話を読んで私も悲しい気持ちになりました。
昔の天神様にはサーカスや移動動物園が来ていたんですね。

新田から天神様までずいぶん距離があるような気がしますが、お手手つないでテクテクと楽しそうですね。手を引かれて参道を歩いている小学生を思い浮かべました。
[2]city islandさんからのコメント(2001年04月08日 06時29分58秒 ) パスワード
  

天神様は自分の家からは歩いて5分ほどのところでした。
子供の時の自分には天満宮は本当に身じかな所でした。
裸ぼう祭りのときは我が家の前はとうり道で両親がいつもお客人を
招いてそれはそれは楽しいものでした。
佐波中にいったじぶんの帰り道の途中でもありました。
あと競輪場のほうからまわっていくと坂道がきつかったのも覚えてます。
ところでblueskyさんってハワイにお住みなんですね。話にききますが
きれいなところなんでしょうね。自分も1度はいってみたいです。
あとそういえばもうじき映画”パールハーバー”公開ですよね。
あの映画アメリカではメモリアルデーの日に公開なんですよね。
なにも メモリアルデーのひに公開する事ないのにとおもうのは自分だけでしょうか?いがいとそれがねらいだったりして。また変な反日感情がうまれなければ
いいですけど。。。。。。。。
[3]ボニさんからのコメント(2001年04月08日 10時57分49秒 ) パスワード
  

裸坊祭りは賑やかですよね〜。朝から夜まで町がお祭り一色になってウキウキします。祭りのときに男性が着る白い服もかっこいいなと思うし。伝統的でいいですね。

blueskyさん、ハワイにお住まいかな?と思ってましたがやっぱり!
去年の11月に主人と主人の両親たちと初めてハワイへ行きました。ガイドさんからハ
ワイの歴史を聞きながら4つの島を周って、今まで私が持っていたハワイの印象がガ
ラリと変わったんですよね。明治時代ごろから入植した何百人もの日本人やアジアからの移住者の方々が畑仕事で大変な苦労をされた話、その苦労して開墾したサトウキビ産業が現在は下火になっている話などを聞きました。ハワイと日本がこんなに近い国だったと知りませんでした。ハワイは森や海の自然が豊でゆったりしていて慎ましくて・・・、私の知らないハワイをいろいろなものでこれからもっと見たり聞いたりして行こうと思っています。
[4]ボニさんからのコメント(2001年04月09日 22時39分07秒 ) パスワード
  

天満宮の石段の途中あたりで右に曲がると簡単な資料室の様な建物があって、
高杉晋作や木戸孝允ほか維新時代の有名な人々の写真と経歴が書かれた額が
飾ってあります。あれを全部読もうと思ってますが、まだいまだに一つ二つ
しか読んでいません。

blueskyさんが防府に居られた頃にもあったでしょうか?
あの建物はいつくらいからあるんでしょうね。

その奥へは行ったことがありませんが、たぶん茶室があるらしいです。
その資料室と茶室の前に小さな庭があって、水が流れていてちょっといい感じです。
[5]irieさんからのコメント(2001年04月10日 11時51分37秒 ) パスワード
  

ボニさんの言われる資料室の様な建物は暁天楼でしょう。明治維新の志士たちが打ち合わせをした建物を再現したようです。奥の茶室が芳松庵です。
いつからあるの?て言われるとちょつと私も不勉強でわかりません。天満宮に聞いてみます。
[6]irieさんからのコメント(2001年04月10日 16時11分19秒 ) パスワード
  

芳松庵については防府天満宮のHP
http://www.hofutenmangu.or.jp/main/keidai/hoshoan.html
にでています。
暁天楼については問い合わせ中です。
[7]Kisskoboさんからのコメント(2001年04月11日 08時32分04秒 ) パスワード
  

こんにちは Kisskoboです。
芳松庵へは何回か防府へ来られた客人を連れて行ったことがありますよ。

平成3年の竣工記念では各流のお茶会が開催されていましたね。
(お茶に詳しい訳ではないので参加したことはありませんが)

門を入ってすぐ右の無料休憩所の天井の梁が釘を使わずにつないであるのを見て
日本古来の建築技術って大したものだと感心しましたが、先日TVの「TOKIO」
が出演している「鉄腕ダッシュ」という番組がありそのなかで大工さんが
ちゃんとその技法を使っているのを見てしまい、これはかなり知られた技法かな
と自分が知らなかっただけかとがっかりしましたよ。

菅原道真は日本の正史ではじめてお茶についての記述がなされ「茶聖」といわれて
いるそうなのですね。これもパンフレットではじめて知りました。
[8]ボニさんからのコメント(2001年04月11日 11時32分25秒 ) パスワード
  

irieさん、素朴な疑問に答えていただいてありがとうございます。

茶室は「芳松庵」っていうんですね。記事を見てきました。
そこが建って今年でまる10年ですか。
イメージでは小さな部屋がひとつあると想像していましたが・・・
30畳の大広間と8畳の部屋という、大きくてりっぱな建物なんですねぇ。
あの奥にそんなにりっぱな建物があるなんて意外でした。
一服500円なんですね、気軽に行っても良いところだったら行ってみようかな。
作法をキチンとしないと・・・と今まで茶室の方へは足が向かなかったので。

それから防府天満宮HPに書いてあった「管公」って誰??と調べたら、菅原道真公のことなんですね。
基本中のキホンを知らなくて恥ずかしいです。
主屋菅原道真公-菅公様-天神さま

防府天満宮が建って今年で1110年ですね。来年かな?
それで色を塗り替えて外観を綺麗にしてるんですね。

[9]ボニさんからのコメント(2001年04月11日 11時59分22秒 ) パスワード
  

Kisskoboさん、こんにちは。
「鉄腕ダッシュ」のダッシュ村シリーズは私も毎週楽しく見ています。
おもしろいですよね。漬け物樽や板間の部屋など我が家の昔の雰囲気を思い出します。普通の台所と、小学校低学年まで土間とかまどもまだありましたもの。
おばあちゃんはそこで木をくべてお湯を湧かしたり、餅米をふかしたりしてました。

さて話を元に戻して、
たまたま薬師寺大改築の模様をスペシャル番組で見たんですけど、
Kisskoboさんが言われる日本古来の建築技術がそこに使われていました。
すごいですね〜。ほんとにすごい。匠の技ですね。
クギを一本も使わずに木を幾重にも組み合わせた梁の強度は、
いま研究されている耐震設計と同じレベルだとか。

地震があると木同士がきしんで、ものすごい音がするらしいですが、
合わさった木材がエネルギーを外へ逃がしてる音だそうです。
それであんな大きな屋根が乗っかってても持ちこたえられるって。
すごいですねぇ〜。
今度、茶室ものぞいてみよーっと。
[10]irieさんからのコメント(2001年04月15日 14時14分06秒 ) パスワード
  

防府天満宮から答えていただきました。

暁天楼のお問い合わせの返信

> 暁天楼はいつ頃できたものでしょうか?
> 由来などありましたら教えてください。
>
概略につきまして下記の通りです。

☆ 暁 天 楼 
  藤村屋第十二代藤村浩作氏建築寄進
   木造弐階建、弐階二間、壱階土間、座敷(六畳二間)
(六)沿革
明治維新にさいし、勤皇諸隊の屯所が置かれた別当大専坊は、社前の旅篭藤村
屋の離座敷を密議に使用しておりました。
そのころは「適義楼」といいました。
大正四年、藤村屋が旅篭を廃業したおり、維新志士が往来密議したこの楼を破
却するに忍びず、これを天満宮に寄進し社域西隅の酒垂山山麓に移築して維新
史跡として残しました。
そのころは、「暁天楼」とあらためられておりました。その建物が老朽して、
昭和二十年代に解体したままになっておりましたが、藤村屋の子孫藤村浩作氏
が祖志を継承して再建を寄進されたので、新たに史跡大専坊に近い円楽坊の跡
地に移転し、当時のままに建物を復元いたしました。

**************************************
* 防府天満宮社務所  担当 佐伯康男
* 山口県防府市松崎町14番1号
* info@hofutenmangu.or.jp
**************************************
[11]ボニさんからのコメント(2001年04月16日 14時01分40秒 ) パスワード
  

とても詳しく説明していただき、誠にありがとうございます。

まず、別当大専坊(べっとうだいせんぼう と読むのでしょうか)が何なのかよく分からなからなかったので、少し調べてみました。

私なりに理解したところによると、
「別当」とは’一番偉い’という意味かな?と思います。
神仏分離の考えによって取り壊されたので今は無いそうですが、昔は神社前の参道には9つのお寺が並んでいて、大専坊が他の8つの寺を取りしきる一番偉いお寺だったと。ここはその昔、毛利元就も本拠地にしたという、この地域では重要な建物だったんですね。

その大専坊が密議の場所として利用していたのが、神社前にあった旅篭(はたご)藤村屋の離座敷(今では暁天楼)なんですね。それで、明治維新のそうそうたるメンバーの肖像画があそこにあるわけですか、なるほど。
休憩用にしては不自然に置いてあると感じていたテーブルと椅子4つは、密議の雰囲気をかもしだしているんですね。

移築・解体・再建の詳しいお話が聞けて良かったです。
どうもありがとうございました。
[12]ボニさんからのコメント(2001年04月19日 21時45分40秒 ) パスワード
  

今日、いなかの両親がやって来ましたので防府天満宮へ行きました。
これまでほとんど気にしていなかった「大専坊」の門ですが、このスレッドで少し興味を持ったので、今日はじっくりと見ました。

来年の平成14年、1100年式年祭をやるんですね。
上の方のコメントで、1110年?だと書きましたが間違っていました。
来年が菅原道真の没後1100年なのだそうです。

階段の途中あたりの両側に、とても大きな「くすのき」が立っています。
落ち葉を掃いている人が一人居たのですが、掃くそばから新しいのがハラハラと落ちてくるんですよね。その人、「新芽が出る時期だからどんどん葉っぱが落ちましてねぇ」と笑っていました。見上げるとあざやかな新緑が広がっていて、その大木のたもとに赤い椿の花がキレイに咲いていました。
今日は半袖の人を見かけるくらい、とても暑い日でした。
[13]ボニさんからのコメント(2001年04月19日 21時49分10秒 ) パスワード
  

「梅が枝餅(うめがえもち)」も売ってましたよ。
これって、熱いうちに食べるとおいしいですよね。
[14]BLさんからのコメント(2001年04月19日 22時48分00秒 ) パスワード
  

BLです。こんばんは。

ホントに良い季節になってきましたね。
街路樹の緑が日に日に濃くなっていくのがよく分かります。
そんな景色を見ながら毎朝毎朝通勤してます。
遅刻しそうな朝はそんな余裕はありませんが(苦笑)
[15]city islandさんからのコメント(2001年04月20日 04時33分26秒 ) パスワード
  

bluesky さん 昔昔その2 まってます!
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